わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

目次 Top


第2部 「灯台」の群像

 第4章 生きる

 50 私のよろこび          土 屋 弥惣治

 つれづれの友となりてもなぐさめよ
   ゆくことかたきわれにかはりて

 これは貞明皇后さまが、私たちハンセン病者の上に思いを寄せられて、お作りになられた御歌です。皇族の方々には、私たちに深いご理解と数々の恵みを賜わっています。昭和50年6月24日に藤楓協会総裁の高松宮殿下が、高松で開催される「らいを正しく理解する集い」を前に青松園をご訪問くださいました。その時両殿下が私たち不自由者センターにお越しになり、1人ひとりにお優しいお言葉をかけて下さいました。その光景を新聞記者の方が、写真に撮ってくれました。私はその写真を早速額に飾り、朝夕宮様のご厚意を感謝し見えないながらも額のガラスを拭きその日を思い出しております。私は70才をすぎましたが、このような幸せな生活を送れることを感謝しております。
 また奈良の小林先生をはじめ真和会の皆様が、50年1月より3ヵ月毎にお出下さり、私達盲人のために手編のマフラー、靴下、デンチコ、そしてお菓子など心のこもったお土産をいただき、精神的にも温かいお力添えを下さっております。私は体の状態や、気分のよいときには、真和会の方々と膝を交え親しく話し合い、慰められております。その真和会の方から51年9月14日、敬老の日を祝って70才以上の盲人会員に上等の毛布を贈っていただきました。真和会の方々に偏見など全くなく、肉親以上のものを私たらにおぼえさせ、家族同様にしていただいています。3ヵ月毎に島を訪れ下さるのを、いつも心待ちにしております。
 それから、私は故郷の肉親からは全くの音信不通ですが、毎年京都の花園大学学長の山田無文先生や、花柳徳三尾先生がわざわざご来園になり、京都出身者をお見舞い下さいます。また花柳先生からは度々おたよりもいただき、京都のことなど知らせて下さいます。私は幼い頃から京都で丁稚奉公をしたことがありますので、それだけに故郷のことをテレビやラジオで聞く度に懐しさで、一ぱいになります。
 この度、長年待ち望んでいたトイレ付の四畳半個室に入ることが出来て心から喜んでおります。毎日一国一城の主になったような気持でのびのびと生活しておりますが、頭痛病みのために愚痴や無理を言いがちですが、老後を少しでも明るく生きたいと願っております。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


Copyright ©2008 大島青松園盲人会, All Rights Reserved.