わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第5章 闇からの開放

 55 讃岐の方言          故 上 野 春 雄

 どこの方言もその地方独特の、何とも言えない言葉の持味があります。讃岐にもやはり違い祖先より受け継いできた方言なり、民謡が今も語り歌いつづけられています。しかし時代と共に古来より使われてきた方言などもだんだん廃れて、農漁村の老人たちが使っている程度ではないかと思います。
 私は専門的に方言を研究したわけでなく、ただ讃岐に生れ育った過程のなかで、古老たちの語り伝えられた言葉なり、私の浅い経験の記憶をたどって記してみたいと思うのです。方言の起源や、正確な意味は必ずしもあてはまらないかも知れません。間違っていたらお許し願いたいのです。
 方言はどこの方言を問いても、その土地の郷土色がよく出ており、そこに住んでいる人たちのくらしなり、淳朴さが表れていて、分らないながらもユーモアがあって、聞いていて少しも嫌な感じを与えません。例えばNHKのラジオ放送で三つの歌やのど自慢の出場者が、ときにお国言葉丸出しで話し出すと、司会者の宮田アナウンサーも分らなくて困ることがあるようです。その方言が珍らしくたのしませてくれます。また民謡、伝説も同じことが言えると思います。讃岐にも代表的な民謡に“こんぴら舟々”がありますし、盆踊りの歌では。“一合蒔いた”その他田植歌、草取歌、籾摺歌など数えればたくさん歌われてきています。どの歌も独特の味わいがあって、今聞いてもなつかしいものばかりです。最近はリバイバルブームの波にのって、古い民謡がくり返し編曲されて歌われています。
 都会に永らく住んでいても、生れ故郷の方言はなかなか抜けきらないもので、どうかしたはずみにお国言葉がとび出す場合があります。私が上京した当時、早口の東京弁で話されると何がなんだかわけが分りませんでしたが、それも馴れてくると自然と東京弁に変ってゆきます。東京の言葉と讃岐の言葉を比較してみると、例えば品物を買う場合、東京弁では「買ってくる」讃岐弁では「買うてくる」。また東京の物を「借りてくる」は讃岐では「何々を借ってくる」と言います。いづれにしても言葉の発音や、訛りでそのようになっていったのかも知れません。
 方言で全国的にも知られているのが、大阪の「さかい」、京都の「そうえ」、兵庫の「なんぞいや」、長崎の「ばってん」、宮城、島根のずうずう弁、それから言葉の語尾に「ねえ」とか、「なあ」とかが使われています。東京の「ねえ、さ」、関東の「へえ、は」、東北では「こ」、讃岐では「なあ、のう、よう、ねえ」、他の府県では「しい、いい、どう、ん、そう」、「ねえ」は全国で使われています。讃岐全体としては「なあ」が普通一般に今も使われています。
 次に日常よく使われている農家の人たちの会話を例にとると、
  「お早うござんす、めっきり朝晩涼しなったのう、ええ天気が永いこと続いたけん、稲もよう実がいって、この分じゃ今年も豊作じゃのう、ほんまにええこっちや、祭でもすんだら本腰で稲刈りにかからないかんのう、おまはんとこの嫁はんの里からも手つないに来るんじゃないかえ、もうわしも年で稲刈りは腰が痛うてしんどうていかんが」
  「そう言うてもおまはんとこは常人揃いじゃけん、仕事をしても“はか”がゆくのう」
 この“はか”がゆく、またはかどる“という方言には面白い伝説があるようです。昔香川郡坂田の在に正直で善良な百姓がおり、田植をしたが人手がなくて一日で田が植えられなかった。ところが不思議なことに、翌日田圃に行ってみるときれいに植えられていた。それは先祖の墓が行って植えたということで、それから仕事が思うようにできたときを。”はかがいった“とか”はかどった“と言うようになったと伝えられています。
 戦前の農家には野天風呂が裏の庭先などに据えてありました。この風呂は鉄砲風呂といってどこへでも据えられます。今はみな湯殿を別に建てて便利よく、台所と共に改善されていますが、以前には風呂を持っていない人は、よく隣近所にもらい風呂をしたものです。そうしたときの方言に
  「こんばんは、おくたびれでござんす」
 または
  「おしまいでござんす」
  「毎度すまんけんど後で風呂をおしょばんさしていた」
  「さあさあどうぞ、熱かったら水を入れるけんそう言うて、湯がぬるいようやったら遠慮せんと言うてのう、おまんくのあにやんも来たらえんじや、風呂に入ったらくたぶれが治る、帰ったらはようきまいと言うたらええで」
 それからよく「こっちへきませ、きまい、あっちへいきまい、いきまーせ」のように、讃岐の方言も西讃と東讃では多少違っています。讃岐言葉はまことに優しくうるおいがあって、他県の人にも分りやすいと思います。少しのんびりした口調ですが、それも時代と共に多少早くなってきております。しかしその底には土地柄というようなものが流れています」
 今でも「のう」に次いで「なあ」は日常一番多く使われています。そこで祭の対話をあげてみますと、
  「昨日は雨ががいに降ったなあ、今日の祭ができんかと思うたけど、ほんまにええ天気になってよかったのう、おまはんとこはもうお客さんがお出でたんな、うちは昨日から泊りこんでっどなあ、今日のおさがりを拝んで帰ると言うとる」
  「みんな連れなって八幡さんへ詣ろうなあ、はよう来まいよ、待っとるけんなあ」
  「こしらえができたら出かけてきまいなあ」
 ここで面白い方言を拾ってみると、はっこまい(阿呆馬鹿のこと)、じゃらじゃら言うな(軽口のこと)、ごちゃごちゃ言うな(理屈文句のこと)、そんなにまぜかえさんときな(茶化すこと)、ほうけんにするな(馬鹿にするなのこと)、ひつこいなあ(しつこい、くどいこと)、少し下品な方言では「くそぼっこ」、「くらっしゃげるぞ」、「きゅうきゅう言わすぞ」。古い方言では「どんたく」という言葉があります。それは休日のことで、長崎あたりから伝わってきたオランダ語か、ポルトガル語か分りませんが、大正の初め頃まで使っていたようです。
 こうつと(ちょっと考えるとき)、こたえた(仕事などで疲れたとき)、「えらかった」も意味は共通しています。あがりまえ(お客を座敷へ招き入れるとき)、おじゃもん、おんち(共に化け物のこと)、こうこ(小犬のこと)、うまげなべぺ(きれいな着物)、ひにしる(つねること)、おぶたんたん(風呂)。この他にもいろいろ変った方言がありますが、ここでは簡単にふれてみました。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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