閉ざされた島の昭和史   国立療養所大島青松園 入園者自治会五十年史

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入園者の証言と生活記録

舌 読       賀川 操

 私が点字を習い始めたのは、昨年10月で、打つ練習と共に、ニューム板や、洋紙などで舌読の練習をしてみたけれどもつぷの出ているぐらいで、字が分らず舌読を諦め、打つ練習ばかりしていました。
 或日、Mさんが「光明園の舌読者は、口にゴマを入れ、その数をよんで舌の練習をしたり、舌から出血する程練習を続け、今では舌読出来る様になっている」との努力の程を話してくれました。その話を聞けばまだまだ私の努力の足りなかった事が痛感され、点字が読めなければ習っても、無意昧でなかろうかと感じていましたから、舌読練習を一生懸命やってみようと思い乍ら、目標を四月において努力して読める様にならなければ点字を習うのを止めようと腹を決め、12月上旬から練習をはじめました。
 練習用にニューム板がありますが、質の悪い洋紙を買ってありましたので打つ練習も出来ますからニューム板は止め、その洋紙を使用し、一マス飛びにアイウエオを打ったり、メの字をアイウエオの間ヘーマス飛びに挟んで打ったその洋紙を机の上へ置き、手で両はしを押えてペロリと舌を出し占字の上をなでるのです。しかし読もうという緊張感のため舌の先が固くなりぎこちなく上下左右へ、敏捷に細かく動かないのと唾液の出るのを防ぐことが出来ず、唾液が吹き出る様に洋紙の上へ流れでて、洋紙が駄目になり、打ち直して取替えると言う風で思わしく読めなかった。
 ボール紙へ点字を打った洋紙を貼りつけ、仰向けに寝転ぴ、顔を覆う様に洋紙を持ってゆき両手で支え持ち舌読練習をしました。この姿勢は唾液の出るのを防げましたが、時間がたつにつれ、両手がだるくなり、ボール紙が全く重く感じられて長時間続けて練習は出来なかった。一マス飛びに点字が打ってあるのに、一面がゴマツブの様に思われ、点字の分らぬ僅に舌の先で根気よくその上をなでておりました。根負けした時などは机の上へ洋紙を置き、唾液の出るのもかまわず舌先で丸や数字を書き、気をまぎらしておりました。
 毎日点字をなでるので舌先が荒れ、ピリピリして何日も唐辛子をなめているようでした。そのうち日を重ねるにつれ、一マス飛びの字の境がだんだん分ってくる様になり、ポツ、ポツ、一宇、また一字、わかりだしました。
 或る日の事、どうしても何という字かわからないので、とうとう根負けして百迄数字を舌で書いて気をまぎらしていたら、舌の先が痛み出し、舌読をやめて洋紙を手に持っていると、部屋の人が、「お前どうしたんど!その紙に血がついているぞ!」と言われ「えッ!本当な?…」と驚いて問い返した。舌がピリピリ痛むのもそのせいかも知れんと思いつき「舌の先一寸見てや」と舌を出して見てもらうと「ほんの一寸舌の先が切れている」と教えられた。
 出血を教えられた時は本当にドキッとしましたが、小さな傷だったのでやっと気が落着き、その日はウガイをして練習を休みました。光明園の先輩の話を聞いていましたので自分も来る所迄来たという感じでした。ただ、2、3日休もうという考えと、練習を続けるのが良いと言う2つの考えがあって、その夜は、あれや、これや迷いました。
 こんな経験をつんでゆくうちに、舌の先もだんだん慣れて軟かく敏捷に動き易くなり、練習を始めてから廿日頃には、一マス飛びに打った五十音が、殆んど読めるようになりました。その後は2文字ずつ読けて打って練習をしたり、Mさんに一マス飛びに物の名を打って貰って舌読の練習をしたりしていましたが、“タイ”“サバ”“イワシ”などと読めるのが嬉しく、刻の経つのも忘れ夢中で舌読しました。
 それからだんだん綴りの字数を増して、自信をつけてゆき、正月には職員の久米さんから年賀状を下さったので舌読しましたら、全部は読めなかったけれども、大要は分りましたから、もう少し練習すれば普通の綴りが読めると言う自信がはっきりつきました。その後は久米さんや、初めから私を激励指導して下さったMさんなどが、度々点訳して下さって舌読練習を続け、1頁を1日、または2日もかかって舌読していましたのが、今では「点字毎日」1真を三30分前後で読める様になっております。しかし私は未だに仰向けになって舌読しているために、分厚い本は手が悪く持ちにくいので読んでおりません。
 今後一層努力して、机の上に本を置いて、自由に舌読出来る様になりたいと思って居ります。

              (青松昭和32年4月号より転載)

  

「閉ざされた島の昭和史」大島青松園入所者自治会発行
昭和56年12月8日 3版発行


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