閉ざされた島の昭和史   国立療養所大島青松園 入園者自治会五十年史

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人間回復の橋    和泉 真蔵

 ハンセン病ほど酷く誤解されている病気を私は知らない。長年にわたる啓蒙運動にも拘らず、この病気に対する誤解と偏見は、未だに私達の心の中で頑なに生き続け、患者とその家族を苦しめている。
 周知のように、わが国におけるハンセン病対策の基本は絶対隔離政策であり、この政策の学問的根拠は、らい菌の感染とハンセン病の発病を一元的に結びつける単純な因果論であった。
 一八七三年、ハンセンによってらい菌が発見されると、人々はらい菌の感染がハンセン病の原因であり、発病はその結果であると単純に考え、患者の隔離を唯一の予防策と考える様になった。ところが、事実はそれ程単純ではなく、感染から発病に至る過程には、その個体の免疫機構が複雑に関与しており、感染を受けた者の中、極く一部の人だけが発病することが次第に明らかになって来た。特に一九七〇年代に飛躍的に進歩したハンセン病の免疫学や遺伝学的研究は、この複雑な生命現象を詳しく解析することに成功し、単純な因果論を完全に論破し、啓蒙運動にとって非常に有利な事実を次々と明らかにして来た。
 この有利な状況を見落し、もし啓蒙運動を進める人々が、その理論的根拠を絶対隔離論と同じ単純な因果論に求めるならば、その運動は決して説得力のあるものにならないであろう。その意味で、啓蒙運動には、いま発想の根本的な転換が求められているのである。
 こうして、隔離政策の学問的拠所が失われてしまうと、ハンセン病対策そのものも根本的な変更を迫られることになる。世界保健機構(WHO)は、ハンセン病対策の基本は「統合」でなければならないとしている。統合というのは、ハンセン病対策を他の疾病対策と統合して行い、特定の人が特定の場所で行ってはならないと言うことである。夫々の国には独自のハンセン病対策の歴史があり、わが国のように長年にわたる絶対隔離政策の歪みが著しい国ではそれなりの配慮が必要であるが、対策の基本はあくまで統合でなければならない。そして、ゆっくりではあるが、わが国においてもその方向に着実に進みつつある。
 ところで、統合を進める場合、真先に問題になるのはハンセン病の伝染性である。「ハンセン病の伝染性は極めて弱いものです」という説明では、人々は決して納得しない。それは、一般の人々が『万一』を恐れ、対策に「万全」を求めるからである。かつて、「ハンセン病ほど悲惨な病気はない。こんな病気に罹る人は一人も無くさなければならない。」と絶対隔離論者が言い、今また、「万に一つにも伝染の恐れのない無菌者は一般病院に受入れるべきだ」とハンセン病の“理解者”が主張する。この二つの主張は、共に実現不可能な『万全』をハンセン病対策にだけ要求する点で驚くほど良く似ている。これこそ偏見である。
 私の試算では、日本の全ての患者’が社会復帰したとしても、国民がハンセン病に罹患する危険は数百万分の一増加するに過ぎず、事実上ゼロに等しい。このことは、わが国においては、ハンセン病は最早や伝染病ではなくなり、らい予防法もまた、存在の根拠がなくなったことを意味している。
 最近の新聞報道によると、園田厚生大臣は長島架橋の予算化を約束したと言う。この架橋により島の患者の生活が便利になることは喜ばしいことであるが、この橋が「人間回復の橋」になるという主張には、私は率直な疑問を持っている。なぜなら、わが国の療養所の大部分は陸続きの地にありながら、絶対隔離の理念に基づいて作られている「らい予防法」により、社会から厳しく隔離されているからである。真の人間性回復の橋は予防法が廃止され、ハンセン病が伝染病でなくなったと宣言される日に初めて完成するものであろう。
 私の知っているある公立病院の医師は、ハンセン病の治療を一般病棟に入院させて行っている。この医師達は最新の研究成果に基づき、「ハンセン病は伝染病として取扱う必要がない病気」と考え、それを素直に実践しているに過ぎない。このように素直に行動できる彼らこそハンセン病患者との間に「人間回復の橋」を逸早く完成した人々である。私は彼らの姿を美しいと思うが、それと同時に、彼らが美しく見える日本のハンセン病の現状を悲しく思うのである。

1981.2.24

    (筆者・京大医博)

  

「閉ざされた島の昭和史」大島青松園入所者自治会発行
昭和56年12月8日 3版発行


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