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詩のリンク集
「詩のちらし」・・・下前幸一さん

ペーパー版『詩のちらし』の始動は1983年から。寄稿された他誌の詩と自分の詩を掲載している。サイトには他に、下前さんの7冊の詩集、モリタクミコさんの詩。投稿詩など。
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ハンセン病関係リンク集
「国立ハンセン病資料館」

「ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話」、「ハンセン病入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」前文および第1条(趣旨)、第11条(名誉の回復等)に基づき国が実施する普及啓発活動の一環として、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図ることを目的としています。
〒189-0002 東京都東村山市青葉町4-1-13 TEL 042-396-2909/FAX 042-396-2981
「国立療養所 松丘保養園」

 <沿革>治42年4月1日に東北6県および北海道の連合立として、「第2区道県立北部保養院」の名称で設立、当初油川村の隔離病舎に定床90床で患者収容を開始し、同年10月1日に現在地に庁舎が完成移転された。 
 その後、定床は逐次増床、ピーク時の昭和33年には950床に及んだが、近代医学の進歩等により患者数(平成8年4月1日より入所者という)は次第に減少し、これに伴って定床数もその都度改訂されてきた。医療法の定床は平成18年2月20日以降477床となっている。
 <環境>この間、昭和16年7月1日厚生省に移管、国立療養所松丘保養園と改称、我が国では最北端のハンセン病療養所として設立以来、一貫してハンセン病の医療を担当している。

青森市の中心部から西へ約4Kmの交通便利な地点にあり、広大な敷地(約23万u)は約3割が広葉樹の樹林地帯で、樹間にはリス、野鳥等がみられる。また園内からは八甲田山および青森市街を望むことができ、自然環境に恵まれている。
しかし、本園一帯は、県内屈指の豪雪地帯として知られており、冬期はまことに厳しい環境に一変する。

〒038-0003 青森県青森市大字石江字平山19番地 TEL 017-788-0145
「国立療養所 東北新生園」

 <沿革> 昭和12年9月9日財団法人三井報恩会の援助により敷地の買収に着手し、昭和13年4月1日に名称を東北新生園と定め、昭和14年10月27日に厚生省に移管され、定床400床の国立療養所東北新生園として発足しました。
 以来建物等の拡張整備を行い、昭和29年4月1日には定床770床となり、入所者628名となりました。
 その後、新発生数の激減と化学療法による治癒、軽快退所及び成人病による死亡等により入所者数は年々減少し、平成19年7月1日現在、医療法460床、入所者数149名となり平均年齢も79歳を数えるに至っています。
 <環境> 宮城県北部に位置し、敷地内には樹木も多く四季の変化に富み、閑静で療養には最適な地です。
 近くには、白鳥等野鳥の宝庫として全国的に知られている伊豆沼があり、当園の高台からは秀峰栗駒山を望むことができます。
 園内中央には睦ヶ池があり、冬期間は白鳥、鴨等が飛来し入所者を楽しませています。
〒989-4601 宮城県登米郡迫町新田字上葉ノ木沢1 TEL 0228-38-2121
「国立療養所 栗生楽泉園」

 <栗生楽泉の基本方針> 当園は入所者の高齢化が進み、平均年齢も78歳を超え、国立13園中最高齢の施設である。
従って、障害をもった超高齢者の集まりと考え、福祉・医療の充実を計画しなくてはならない。
 また、啓蒙啓発、社会復帰の支援も任とせねばならない。
 このため業務の見直しを含めて、現場主義の浸透をはかり、職員一丸となって以下の基本方針の達成に努力する。
〒377-1711 群馬県吾妻郡草津町大字草津乙647番地 TEL 0279-88-3030
「国立療養所 多摩全生園」

 <沿革>  明治42年9月28日、公立療養所第一区府県立全生病院(関東1府6県及び新潟・愛知・静岡・山梨・長野の連合府県立療養所)として現在地に創立、昭和16年7月1日、厚生省に移管、国立療養所多磨全生園として発足、現在に至る。
 <環境>  東村山市の東北端、清瀬市の西端に隣接、新宿の西方21q、所沢市の東南方4qに位置している。付近は、正に武蔵野の雑木林に包まれた緑地の多い静かな自然環境のなかにある。
〒189-8550 東京都東村山市青葉町4-1-1 TEL 042-395-1101  
「国立駿河療養所」

 <理念>私たちは入所者の皆さまが安心して療養生活のできる環境の提供につとめます。
 <基本方針>
   一 入所者の皆さまの人格を尊重します
   一 安全で快適な生活ができるようつとめます
   一 安心して受けることのできる医療を提供するようつとめます
   一 ハンセン病の正しい知識をひろめ地域との交流をめざします
〒412-8512 静岡県御殿場市神山1915 TEL 0550-87-1711

「国立療養所 長島愛生園」

 <理念>一人ひとりの幸福と福祉のために我々は医療と看護・介護によって最善をつくします。
 <基本方針>
   1 入所者の名誉と権利を守ります。
   2 安心で信頼されるチーム医療を提供します。
   3 介護予防活動によるQOLの向上をめざします。
   4 職員の教育・研修に努めます。
   5 ハンセン病の啓発活動を実践します。

〒701-4592 岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539 TEL 0869-25-0321

「国立療養所 長島愛生園自治会」ホームページ (現在、ございません)
「国立療養所 邑久光明園」

 <光明園の運営方針>我が国には明治40年(1907年)から平成8年4月1日(1996年)までの長きにわたって、「らい予防法」が存在し、この法律により、当園を含む15の国立および私立の療養所に、ハンセン病患者は収容されました。
これら園の入所者は、その97%以上がハンセン病自体は治癒しており、「ハンセン病を過去に患ったことのある人」と表現するほうが正しく、最近では単に“入所者”と呼ぶこととなっています。
ほとんどの入所者は重複した障害を持っておられますし、平均年齢74才と高齢化しておられます。私たち職員のモットーは、第一に入所者の人間としての尊厳を尊重し、健康で安全な療養生活を送れるようにあらゆる支援をすること。第二に、ハンセン病に対するあらゆる偏見をとりのぞくために、啓発活動に力を注ぐこと。第三に、ここで働く者にとって働き甲斐のある職場となるように努力することです。
光明園は長年にわたって、ハンセン病の薬物療法に関する臨床的研究と実践に取り組み、また、この病気の病態を解明するために努力して、多くの業績を上げています。また、光明園でハンセン病の医療・看護を研修した多くの医師・看護婦が、アジア各地でハンセン病制圧のために貢献してきました。
私たちはこれらの伝統を、今後ともに継承発展させていきたいものと思っております。もっと詳しくハンセン病の医学的・看護的・社会的問題についてお知りになりたい方は、ぜひ一度邑久光明園をお訪ねください。(園長挨拶より)

〒701-4593 岡山県瀬戸内市邑久町虫明6253 TEL 0869-25-0011
「国立療養所 大島青松園」

 <沿革> 明治40年3月19日に法律第11号「ライ予防法ニ関スル件」が制定され、同年7月22に日「内務省令第20号・同施行規則」が発令されたことにより、全国を5区域に分けて、それぞれに療養所を設立することになった。
 第4区においては、岡山県・広島県・山口県・島根県・徳島県・香川県・愛媛県。高知県の8県連合で第4区療養所として設置された。本園の創設に際して、明治40年9月26日に設立申請を行い、明治41年1月27日に認可・決定された。そして「第4区療養所」として、明治42年4月1日に発足し、所在地・香川県知事の管理になった。患者定床は200床で、21名の職員定数が配置された。
 明治43年に「大島療養所」と改称した。その後、入所者の増加に伴って増床が逐次行われ、最大時には860床となった。
 昭和16年7月1日、所轄を厚生省に移管して「国立らい療養所大島青松園」と改称し、さらに昭和21年11月2日に『国立療養所大島青松園』と改称した。
 <環境> 高松港の東方約8q 、四国本土との最短距離約1qの瀬戸内海に浮ぶ面積61haの小島である。
 島の西海岸からは伝説桃太郎の鬼が島(女木島)、南には源平の古戦場屋島檀の浦、東には二十四の瞳の小豆島が瀬戸の朝日夕日に映えて一眸のうちに望まれる。
 島はまた、白砂青松につつまれ、西海岸には源平の勇者を葬ったと伝えられる老松「墓標の松」に覆われ、天然の美とともに源平の昔を偲ばせる静かなたたずまいをみせている

〒761-0198 香川県木田郡庵治町6034-1 TEL 087-871-3131
「国立療養所 菊池恵楓園」

 <基本理念>心と心のふれあいを軸として豊かな自然環境の中で心身の安らぎと心豊かな療養生活を提供し地域の方々と共に歩めるように努めます
 <基本方針>
  1.入所者の個々に応じた医療・福祉に努めます
  2.快適な生活環境を提供し療養生活の充実に努めます
  3.入所者の社会参加に対する支援に努めます
  4.偏見や差別の解消のため更なる啓発活動に努めます
  5.職員の教育・研修に努めます

〒861-1113 熊本県菊池郡合志町大字栄3796 TEL 096-248-1131
「国立療養所 星塚敬愛園」

 星塚敬愛園は全国13ある国立ハンセン病療養所の一つで,昭和10年10月28日に開設されました.当時若手代議士であり,後に鹿屋市長になる永田良吉氏が誘致運動をして開設された施設です.誘致運動で開設された施設は敬愛園だけで,珍しい経緯の施設といえます。園名はお察しの通り,西郷隆盛が好んで揮毫した「敬天愛人」からとったものです。
 敬愛園の土地は約37万u.収容規模は,昭和29年入院定1530床,入所者数は昭和18年1347名が最多でした。現在は入所者276名に減少しています(平成19年10月現在).平均年齢80.8歳(平成19年10月現在),平均在園期間46年.高齢化に加え,ハンセン病特有の心身の後遺症と,脳血管疾患等の老人病による後遺症が合併して,複雑・多様な不自由を抱えて生活している入所者が増えています。
 入所者は平成8年の「らい予防法」の廃止以来,施設を出て社会に復帰することが自由となっていますが,平成14年度に始まった退所者給与金支給制度が出来たものの,実際に社会復帰を果たした入所者は限られています。年々加速する心身の不自由に加え,未だに絶えない一般社会での差別・偏見のため社会復帰をあきらめて,敬愛園を終の棲家と定めるほか無いと思っている方々がほとんどです。
 そこで,我々は敬愛園という施設丸ごと社会復帰する道を模索していま。.敬愛園に居ながら社会の人々と垣根のないおつきあいが出来るようにしてゆくことです.敬愛園の場合,その模範はゲートボールを通じた交流です。鹿屋市や鹿児島市のゲートボール協会の暖かい理解と協力があって,昭和50年代には敬愛園のチームは園外での試合に出場し,全国制覇を果たすまでに発展しました。このゲートボールでの交流のようなものが他の分野にも広がることを期待しています。そして様々な園内外での活動を通じ,社会にとけ込み「施設ごとの社会復帰」が実現ことを念願しております
 そういう意味で,どうぞ,気軽に敬愛園においでください。万が一にもハンセン病にかかる心配はありません。また,敬愛園のある鹿屋・大隅地区には日南海岸国定公園や佐多岬だけでなく,吾平山上陵や神川大滝など隠れた観光スポットもあります。観光ドライブのついでに敬愛園を訪れてみてください。お待ちしております。(園長からのご挨拶より)

〒893-8502 鹿児島県鹿屋市星塚町4204 TEL 0994-49-2500
「国立療養所 奄美和光園」

 奄美大島は鹿児島の南南西約380km、沖縄との狭間にあって南西諸島海上の一角をなし、古来「道の島」として貿易の中継点として栄えた島であり、佐渡島に次ぐ面 積をもっています。
 奄美和光園はこの奄美大島の奄美市街から車で5分ほどのところにありますが、しかし、谷間の緑豊かな環境のなかで、園内には小川が流れる静かな療養所です。
 奄美和光園は昭和18年4月わが国12番目に誕生した国立療養所で、現在13施設ある国立ハンセン病療養所では最も入所者(療養中の元患者さん)が少なく(平成20年7月1日現在、54名)、かつ高齢化(平均年齢81.3歳)を迎え、今後の療養所のあり方について注目を集めているところです。
 ハンセン病については別のページで詳しく述べてありますが、簡単に説明しますと、ハンセン病は結核菌と同類の抗酸菌であるらい菌の感染による慢性感染症で、主として末梢神経や皮膚がおかされます。
 感染しても発症するのはその一部であり、現在では抗生剤を中心とした治療法が確立し完治する疾患であり、外来治療が可能です。
 現在、当園入所者の多くは、有効な治療法がなかった時代の重複した障害が後遺症として残り、それらの治療や高齢にともなう合併症に対し、症状や不自由度に応じた看護および介護がなされていて、大きく3つのグループに分けられます。
 自立可能な方々は一般舎に入所し、療養には治療棟を受診し内科・外科・耳鼻科・眼科・歯科などの外来診療を受け、不自由者には重度の後遺症や合併症を持ち、日常生活の大部分に介護を要する方々が入所しています。病棟は合併症の集中治療が必要な方々や一般 状態の悪い方々が入室されます。
 また、園内での精査・治療が困難な場合は、県立大島病院や近医およびハンセン病療養所間での診療援助や委託治療が受けられる体制を整えています。
 平成8年「らい予防法廃止に関する法律」の施行や平成13年「らい予防法」違憲国家賠償請求事件の熊本地裁判決などにより人権の回復、社会一般 のハンセン病に対する理解、偏見の改善が見られてきましたが、さらに当園は開かれた和光園をめざし、近隣市民との交流のあるゲートボール大会、夏祭りや小学児童を中心とした家族と農園を楽しむ「ふれあい和光塾」、保険診療のできる一般外来(皮膚科)などを通しての関わりをもっています。
 ハンセン病の治療はどの医療機関でもできますが、当園ではこれまでの経験を生かしてお役に立てることができます。また、入所者の高齢化に伴う多くの疾患の予防・対処にも当たっていますので、必要な折にはご相談ください。
 一般の方、ボランティア希望の方、医療関係者等すべての人々が奄美和光園に関心を持って頂き、ハンセン病への理解を深めていただくとともに偏見の除去に協力していただくことを期待しています。
(園長の挨拶より)
「国立療養所 沖縄愛楽園」

 <沿革>
昭和13年11月10日  沖縄県立国頭愛楽園開園
昭和16年7月1日    国に移管される
昭和21年4月24日   米軍民政府の所管となる
昭和27年4月1日    琉球政府創立と同時に琉球政府の所管

昭和47年5月15日   日本復帰に伴い厚生省に移管され、国立療養所沖縄愛楽園となる

「国立療養所 宮古南静園」

 <沿革>
昭和 6年 3月 7日   沖縄県立宮古保養院として創立
昭和 8年10月 6日   臨時国立宮古療養所と改称
昭和16年 7月 1日   厚生省に移管、国立宮古南静園と改称
昭和21年 1月      米軍事政府の管轄となる
昭和27年 4月 1日   琉球政府創立と同時に琉球政府に移管
昭和47年 5月15日   日本復帰に伴い厚生省に移管 国立療養所宮古南静園と改称
平成 8年 4月 1日   「らい予防法」廃止。「らい予防法の廃止の関する法律」が施行 
平成13年 1月 6日   厚生省は労働省と合併、厚生労働省となる

 <将来計画>
 沖縄は、かつて日本でもっともひどいハンセン病の濃厚地であったが、1960年代、日本政府援助で実施された『らい感染源対策』による早期発見と在宅治療制度による早期治療が相俟って、約30年にしてハンセン病問題を見事に解決した。今後の将来計画として取り組むべきものは
(1) 合併症としての成人病、身障化やハンセン病特有の傷の治療
(2) 退園者を含む患者の健康管理
(3)社会のハンセン病に対する偏見、差別の是正

〒906-0003 沖縄県平良市島尻888 TEL 0980-72-5321
財団法人 神山復生病院(HP内に複生記念館に関するページがあります)

 神山復生病院は、1887年(明治20年)パリ外国宣教会のテストウィド神父が伝道の道すがら一人の女性ハンセン病者と出会い、社会で放置された同病者の救済を思い立ち、御殿場市街に家屋を借用して六名の患者を保護したことから始まりました。その後日本の私立ハンセン病院として、多くの病者が治療と生活を当地でしてきました。現在、ハンセン病は特殊な病気ではなく一般病院で治療を受けるようになりました。当病院では過去のハンセン病への理解とここで生涯を終えられた人々の生活の歴史を後世に残すために2004年(平成16年)に記念館を開設しました。記念館の建物は1897年(明治30年)に建てられ、2002年(平成14年)まで事務所本館として使用しておりました。
 展示室には、年表、歴代院長、患者たちの生活の写真・物品、ミサ祭具類、娯楽に使われた楽器、皇室関係の資料、6代目院長岩下壮一師、初代婦長井深八重さんに関する資料・遺品などを展示しています。


日本ハンセン病学会(HP内にリンク集があります)
ハンセン病に関する多彩な資料が掲載されています。
是非、ご一読を。

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