わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第1部 光を求めて

 第5章 明日へ向かって(昭和51~57年)

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盲人慰安会            小 原 運 重

 今年も自治会主催による盲人慰安全が、去る10月8日盲人会館に於いて催されました。これは数年前より10月10日の「目の愛護デー」にちなんで、私たち視覚障害一、二級者を対象に毎年行なわれているものです。その時には自治会執行委員をはじめ、福祉室長さんにはお忙しい時間をさいて、私達を慰めて下さいます。このように晴眼者、役員の皆さんが、私たちの心に少しでも潤いをもたらせて下さることは、本当にうれしくありがたいことです。
 当日は通院車で出席出来る者が一堂に会し、午前11時より盲人慰安会が開かれましたが、私は早目に寮を出て盲人会館に行きました。すると接待係の方が手をとって下さり席に着きました。定刻がくると、主催者側を代表して渉外委員の橋田さんの司会により、自治全々長の岡本さんからの鄭重な挨拶があり、つづいて代議員会議長の曽我野さんの祝辞、福祉室長の木村さんよりねぎらいの言葉がありました。それに対して、盲人会々長の今井さんのお礼の挨拶がありました。そのあと準備されていた折詰を接待係の方がしきりにすすめて下さいましたが、私は目が不自由なので、部屋に帰ってからゆっくりご馳走になることにして、常には殆んど飲まないお酒を少しよばれました。その頃から会場が賑やかになり、次々と歌がとび出すようになりました。その度に拍手が湧き、会場も割れんばかりの状態でした。私もふるさとの安来節を披露するようにとすすめられましたが、お酒のせいか息切れがするので、とうとう歌えませんでした。いろいろな雑談や、歌などを聞いている間だけでも、日頃の苦しいことや、辛いことを忘れ、心の底から朗らかになり、まだまだ長生きが出来るような気がしました。そうこうしているうちに、はや閉会の時間になりました。この雰囲気にもっとひたっていたい思いでしたが、参加者全員で盲人会歌を合唱し、お開きになりました。私は迎えに来て下さった看護助手さんに手をとってもらいながら、ご馳走を片手に部屋へ帰リました。先程の笑いや歌がまだ耳の底に残っているようで浮かれた気持でした。そして折詰を開いて誰に遠慮することもなく食べながら、個室にくつろぎ、今日の集いをしみじみとかみしめました。





「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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