わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第5章 闇からの開放

 58 阿蘇のわらび狩り          故 小 島 しげよ

 もう1度実現できれば……と願っていた、菊池恵楓園への訪問をさせて頂いたのは、昨年の5月上旬であった。
 その日はあいにくの悪天候で、夕方の船便が欠航になったら大変だと思い、昼の船便で激しい雨の中を、わたしたち6名は大島を出発した。岡山発21時の寝台車に乗る予定だったので、充分時間はあったけれど、いつまた霧が出て連絡船が止まるかも知れない不安もあって、早速連絡船に乗り、岡山駅に着いたのは午後4時を少し過ぎた頃であった。ここまで来れば欠航の心配もなく、待合室に落着き、食事をしたり、花子さんとおしゃべりをしている間に時間がきて、予定通り「明星2号」に乗りこんだ。
 熊本駅に着いたのは、昨夜の激しい風雨がうそのような、晩春のさわやかな朝であった。思いのほか人影も少なく、静かなプラットホームを改札口まで来ると、驚いたことにもう恵楓園自治会の方と松崎さんご夫妻が出迎えに来ていて下さり、江上さんも来ておられるとのことで、出迎えの車に乗り、再会出来たことをお互いに喜び合った。こんなに朝早くから、わたしたちのために迎えに来て下さった皆さんに感謝し、ようやく混み始めた熊本市内を抜け、30分ほどで恵楓園に着いた。すでに園内放送で知らされていたらしく、売店前の広場には、自治会役員の方や親しい友人など、大勢の出迎えを受け、にぎやかに挨拶を交し、宿舎に落着いた。早速用意して下さった朝食をいただき、滞在中の日程について自治会の係りの方と話し合っていると、松崎さん、江上さんたちが、明日はわらび狩りに行くことを、既に決めておられた。お2人の説明によると、わらびはすぐ塩漬けにしておけば半分ぐらいに減るので、持ち帰るにも都合がよい。その積りで車の準備もしているとのことで、わたしたちもそうした皆さんのお志しを受けることにし、係りの方とは、その後の日程について話し合ってもらった。
 翌日は幸いにお天気もよく、元気な人はシャツや半長靴、提げ袋など友人から借りてきて、それぞれ支度をしていると、今日わたしたちを案内してくれる車が迎えに来た。3台の車にわたしたち6名と友人を加えると総勢15名のレクリエーションになった。行先きは高森町ということで、両側の山が次第にせばまってきた谷間の、僅かばかりの田んぼではもう田植えが始っているという。車は左右に大きく揺れ、きのうの雨でぬかるんでいるでこぼこ道を、スピードを落して登って行く。わたしと並んで坐っておられたケイ子さんが、この辺にもわらびが生えているのよ、と教えてくれる。道の両側の大きな杉林のトンネルを抜けると、広々とした山の斜面の牧草地に出た。ここがきょうのわらび狩りに選んで下さった場所である。阿蘇の周辺では、どこへ行っても沢山のわらびがとれるそうだが、人がよく行く場所とか、雨降りあと、陽当りなど、いろいろの条件を考えて決められたという。車からおりると、もう足元に見つけたらしく、2、3本のわらびを摘んでわたしの手にもたせてくれた。そっと頬にあててみると、綿帽子に包まれた柔らかいわらびの感触であった。運転手さんたちは車のトランクからテントや敷物、食台などを取出し、わたしたちがゆっくり休めるように、道端の草の上にテントを張り、みんなは袋をさげて出て行った。
 テントの中に残ったのは、茂子さん、花子さん、わたしの盲人三名と、足の手術をされて間のない山内さんとであった。さわやかに吹く高原の風を受けて、おしゃべりをしたり、歌ったりしていると、近くの雑木林から、たのしそうですね、と挨拶でもするように“ホーホケッキョ”と、可愛い声でウグイスが鳴いた。間もなく遠くの方から12時を告げるサイレンが聞こえ、もうお昼になったのかなァ、と思っていると、「腹がへったぞー」と言いながら、2人3人と帰って来た。そして、取ったわらびを見せ合ったり、食事の用意でテントの中はにぎやかになった。食台の上にはおむすびやお煮しめ、お漬物などが並び、お茶もはいって楽しい食事が始った。わたしは大きなおむすびを掌にのせてもらい、それを頬張りながら、ふと子供の頃を思い出していた。祖母に連れられて近くの山へ山菜取りによく行ったもので、わたしはぜんまいやわらびを探すよりも、山の中を走りまわって遊び、祖母の作ってくれたおむすびを食べるのが楽しみであった。きょうも又わらびは1本も取らず、おむすびを食べている白分が、幼い頃の姿と重なって吹き出しそうになった。
 昼食のあと、午後3時頃には帰ることにして、もう少し取って来るから、と再び出て行った。しかし、午前中に余り張切って馴れない山を歩きまわり、疲れたのか、みんな早めに帰って来て、そのあたりの草むらで休んでいるようであった。何も知らない土地で楽しいわらび狩りの1日を過ごさせてもらったが、あいにく江上さんご夫妻は親しい方のご不幸と重なって、ご一緒出来なかったことが、何よりも残念であった。わたしたちは宿舎に帰るとすぐ夕食をいただき、元気な人たちは、収穫して来たわらびを束ね、2個の漬物桶に潰けこむ作業を、暗くなるまでかかってして下さった。
 翌日は高干穂、その次の日は太宰府と見物させてもらい、予定通り5泊6日の親善交流の日程を終ることが出来た。そして、お土産に持って帰った塩漬けわらびは煮付けにしたり、いためものにして、おいしくいただいている。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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