わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第6章 闇からの開放

 69 川柳           

                 白     盛

振り返ることを残して今日もすぎ

雨だれの音も久しい我が家なり

その昔兎を追った山も失せ

石仏に弱い心を諭されて

しっかりと握る鯛焼あばれおち

瀬戸大橋の完成までは頑張る気

生きていること素晴らしいこの苦労

不義理また重ねて老いの筆不精

老人呆けしたとは他人だから言え

ショベルカーに打ちくだかれた鬼瓦

                    渡 辺 柳 狂

よう畳拭くなと子猫戻ってき

愛憎か愚痴かある日の蟹の泡

濁流を容れて許した海の碧

泣かされたように眼科は出るところ

療養所親子で暮す不仕合わせ

不精者にもサボテンは花をつけ

負けて泣き勝って泣いている甲子園

行き合って何か話したような蟻

テレビから笑いを貰う老夫婦

自家用と洒落て出てゆく車椅子

                  故 島   赤 水

一厘の差でタイトルはそっぽむき

折詰へ浮かぶ郷里も花見時

四畳半花瓶の百合へひざを向け

島を去るナース記念樹置いて行き

開眼へ寄せる希望に胸おどり

                  故 下 村 幸 三

窓八分閉めて視察の数を読み

看護助手子になり母になってくれ

幸福は手紙の中に入れてくる

スポーツが好きで無理してラジオ買い

探り杖今日も出て行く読書会

                  故 前 田 野 菊

失明をして川柳の良さを知り

台風に義足の歩み取られそう

雨降りの雑布掛けを猫がさせ

故郷の電話が義足あわてさせ

盲導鈴出来て風呂への道を知り

 

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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