わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第1部 光を求めて

 第3章 環境改善の闘い(昭和35~42年)

 24 全盲連に望む
            賀 川  操

 ラジオのスイッチを入れると、「骨まで愛して」などの歌が流れてくる。これらの歌からは戦後の暗いかげなど全く感じられない。だがその一方では、弾薬を満載してべトナムに向う船が東京湾で正面衝突したとか、八尾市で生活保護家庭の母子心中、「大臣殿もう生きてゆけません」の遺書を残して、68歳の老人がガス自殺を遂げたというニュースも報道されている。この事件は新聞にも大きくとり上げられ、日本の社会保障制度の貧困さが明らかにされた。われわれの予算も生保の枠の中でたてられているとのことであるから、人ごとではなく身につまされるのである。
 われわれハンセン病療養所は、僻地や離島の不便な環境におかれており、更に安上り政策を意図する事務長研究会なるものが設けられ、その研究案が昨年公表された。それによると菌陽性者、菌陰性者、身体障害者、老人、盲人等それぞれ区分した施設を作ることを前提にしたものであった。しかしこの研究案を実施に移すには厖大な予算を必要とするため、空論に過ぎないとして楽観視する者が多かった。
 処が2月3日、加倉井療養所課長は多磨全生園を訪れ、全患協本部に、「今後の療養所運営については、患者側と1年ぐらいの期間をかけて話し合いたい」と申し入れを行なった。これに対処して全患協は、第5回療養生活研究会(療研)において決定していた4月、7月、9月のスケジュールを急濾5月、8月に変更して結論をまとめ、10月に開催される臨時支部長会議で、全患協として療養所の未来像を決定しようと、あわただしい動きをみせてきている。
 われわれにとって明日の療養生活を左右する重大な時期を迎えて、療養権と生活を守るため、個々の意識を高めて力を結集しなければならず、全盲進の果たすべき役割を今ほど痛感されるときはない。われわれはこれまで全盲進によって幾多の至難を乗り越え、福祉向上のため、不自由な身に鞭うって努力し、いくつかの成果を上げてきている。
 その一は点字の習得である。ハンセン病盲人には不可能とされていたものを、ひたむきな練習によって克服し、みずからのものにすることができた。それは、やれば何でもやれるという自信をもたせる画期的なものであった。その二は各支部へのテープレコーダーの支給である。これは読書用として、また友園の盲友や一般社会との交流のため、なくてはならないもので、32年度厚生省より示達をみたものである。その三は福祉年金受給権の獲得である。全盲連がこの運動に立ち上ったとき、一般入園者から理解されず、望外な要求として冷笑する者さえあった。しかしわれわれの生活処遇を改善するには、当然の権利である福祉年金の適用を受けることこそ必要という見地から、点字の打てる者は点字で、外の者ははがきによって陳情を行ない、また会員の署名を添えた請願書を国会或いは関係各省に提出するなど、全盲連の組織を上げての必死の運動であった。このときわれわれの送った陳情書、請願書は関係者のデスクに山と積まれたということである。その四は職員看護完全実施を厚生省に確約させたことである。昭和39年6月5日にはじまった全患協の闘争に全盲連も参加し、多磨、栗生、駿河の会員多数が交渉団と共に、厚生省ロビーに坐り込みを行なった。その結果、小林厚生大臣に急ピッチで看護切替えを促進させるという約束をとりつけたのであった。
 この外、所在地の県盲及び日盲連に加盟し、ハンセン病への理解と啓蒙に努め、広く交流をするようになった。
 こうしてたゆみない努力と前進を続けてきた全盲連も、会員の健康の低下から次期本部移管にゆきづまり、この一年余り空白に近い状態におかれている。この現状を打関するには、われわれがおかれていた暗い過去の状態を思い起し、奮起すべきではなかろうか。また会費をこの2年足らずの間に、月額3円から10円に増額されたことには一部に批判もあるようだが、郵便料金の値上り、書記手当の増額などで止むを得ない処置である。
 現在全盲連がかかげて運動している職員看護完全実施、拠出制年金への移行、盲導施設整備費の予算化、盲人教養文化費の予算化、不自由者食費の復活、テープレコーダーの更新など、いづれもわれわれの福祉に関係する問題であり、これを実現させるためには書面陳情だけでなく、われわれの声をじかにぶっつける直接陳情を行なわなければならない時期にきていると思う。全患協においても六・五闘争以来、時に応じて全盲連代表を陳情に同行させるという方針をとっており、われわれとしてもこれにかける期待は大きいものがある。
 昨年全患協は日用品費増額、不自由者看護切替、作業賃増額を三本の柱として、直接陳情を幾度か行なった結果、物価の高騰にもかかわらずきびしい内容のものであった。その中にあって、作業賃のみは12・8パーセントの増額をみている。だがわれわれが最も願っていた療養慰安金(月額850円)、不自由者慰安金(月額250円)は、またもすえ置きとなった。殊に不自由者慰安全はこの10年ほど据えおかれたままであり、われわれ不自由者の処遇はむしろ低下していると言える。
 私はこの予算示達について、全患協ばかりを責められないと思う。われわれの取り組みや意欲においても問題があったのではないか。とかくわれわれは物事を安易に処理しやすいし、きびしい現実をも直視せず、無関心さをよそおう傾向がうかがえる。このような姿勢をもつ限り、生活の向上はおろか、当面している療養所再編成の問題も、われわれの願いとは異なるものになってしまうのではないか。
 4月24日長島を訪ねた加倉井療養所課長は、療養所再編成の構想を明らかにし、42年度予算には計画の一部を具体化したいとも述べている。このさし迫った再編成必至の事態を全盲連も認識し、本部問題で招いた空白を一日も早く取り戻し、組織の立て直しを図らなければ、悔いをのこすことになろう。
 幸い次期本部移管も長島支部の決断によって解決し、2か月間閉ざされていた本部事務局が、5月15日堀川事務局長をはじめとするメンバーで発足することができた。長島本部は過去に本部を担当した経験もあり、われわれの期待を充分みたしてくれるものと思う。あの結成当時の意欲と熱意をもって組織を強化し、明日の療養生活を明るく不安のないものとするための努力を、私は今こそ全盲連会員に強くのぞみたい。





「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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