第2部 「灯台」の群像
第4章 生きる
54 菜の花 故 小 島 しげよ
4月にはいって最初の日曜日だった。久しぶりにお天気もよく、文鳥やカナリヤがよく囀っているので、わたしは日当りのよい縁側に出て、小鳥たちの囀りを聞きながら日向ぼっこをしていた。
「菜の花を持って帰ったぞ」
という主人の声に、わたしは炊事場へ出て行った。手に持たせてもらった菜の花を唇で触れてみると、固い蕾や大きくふくらんでいる蕾が寄り添うように美しく咲いている。この柔かい小さな花は、きのうの春の嵐にも負けなかったのだろう。ふくよかな句いがわたしの鼻をくすぐる。
「中のほうは花が終りかけているから、小さい枝を取って活けたらいい」
と言われたので、わたしは早速、2、3日前に取ってきてもらって花瓶に差していた大根の花の水を替え、その中へ菜の花を1本1本差し入れてから、花瓶を待って部屋へはいった。居ないと思っていた主人が縁側にいて、小鳥に餌をやっているのでそばに行き、
「この黄色と白がきれいでしよう」
と言ったが、何も言わなかった。水をこぼさないように、落さないようにと両手でかたく持っていた花瓶を机の上に置き、花に顔を寄せるようにして頬杖をついていると、島よりもひと足早い故郷の春が思い出されるのである。
春分の日にはどの家でも菜の花を持って墓参りに行く。家族揃って出かけることの少ない農村のことだから、わたしは子供の頃お墓参りに行くのが楽しみだった。島に来て初めての春分の日、姉に誘われお大師様にお参りしての帰り道、
「ここにも菜の花咲いているの」
と尋ねると、姉は笑って、
「菜の花が咲いていると思うの」
と言った。わたしはあわてて、
「そうねェ、野菜が欲しくても買えない時代に、菜の花は咲いていないわねェ」
と言って、わたしも思わず笑った。2人で故郷の話をしながら山の道を歩いたのも、ついきのうのことのようになつかしく、姉のことが思い出されるのであった。姉が元気でいれば何でも好きなものが食べられるし、菜の花を見ることもできるだろうに…、と思うと涙が頬を流れてきた。
お湯のたぎる音に、わたしはわれにかえった。
「お湯がわいたけど、お茶を飲まないの」
と主人にたずねた。
「11時を過ぎているから、もう飯だ。花瓶は棚に上げとくんだろう」
と煙草に火をつけてから、花瓶を棚に置いてくれた。わたしは、
「京ちゃん、コンちゃん、花がきれいでしょう。花の上で遊んで、花瓶を倒さないでね。水がこぼれたら叱られるからね」
と、2羽のセキセイに言った。柔らかな日射しの中に菜の花の淡い香りがただよい、あちらでもこちらでも小鳥が囀っているのを聞いて坐っていると、花屋にでも来ているような気分になってくる
「菜の花は幾日ぐらい咲いているのかしら……」
と、わたしは独り言を言った。すると、そばで煙草をすっていた主人が、
「菜の花の終る頃にパンジーが咲くから、咲いたら棚に置いてやるよ」
と言った。
「パンジーはどこに植えているの」
「2、3日前からここの土間に入れてある。やっと蕾がふくらんできた。事務所の前のバンジーやアネモネはきれいに咲いているのに、やっぱり浜辺は寒いのかなァ」
と主人は言った。日当りはいいのだが、海からの風にいつも吹かれているのでよう伸びないのだろうと思った。わたしも家にいた頃はいろいろな花を植えていたが、アネモネやスミレのような小さな草花が好きだった。島に来たあとも、アネモネやスミレ、ヒヤシンスなどがきれいに咲いている、と母が便りで知らせてくれた。
農家に生れ育ったわたしにとって、菜の花は思い出も多く、身近に感じられるので、一日でも長く咲いていてほしいと思う。病気、失明と、心も乱れ、苦しいこともあったけれど、過去に見た花の色や、形の美しさを、菜の花が思い出させてくれたのであった。
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