わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第1部 光を求めて

 第2章 脱 皮(昭和26〜34年)

 15 盲導鈴に理解を
            北 島 澄 夫

 当園においてもオルゴール式盲導鈴が設置され、そこから毎日美しい旋律が流れてくるようになって、困難だったわれわれの歩行も容易になり、療養生活に潤いのできてきたことは真に喜ばしい限りである。ところが、最近この盲導鈴の音に対して、晴眼者の一部から、高過ぎるという批判が出て自治会に持ちこまれたため、捨ててはおけず、放送係に音量を少し下げさせた。すると今度は、盲人会の方から低くて困るという苦情が出て、自治会ではその取扱いに苦慮しているということである。
 そこでこの機会に、盲導鈴の音についてはもちろん、今後設置して貰わなくてはならない場所に対しても、一般の方々の理解を得ておきたいと思うのである。
 現在設置されている盲導鈴は10か所にすぎず、これは全国11園の中でも少ない方で、いくら園内が狭いからといっても決して充分な数とは言えない。従って、この少ない盲導鈴を利用し、活用しなければならないにも拘らず、音量が制限され、抑えられたのでは、風の強い時だとか、雨降りの日などには一層聞き取りにくくなり、もはや盲導鈴としての用をなさなくなってしまう。そうなると、悪評高い園内道路をわれわれは安心して歩行出来なくなり、自然外出を見合わすことになってしまう。幹線道路に例をとってみても、唯一の舗装路であるにも拘らず至る所でコンクリートは剥げ、しかも路肩は欠けており、探っても叩いても杖にこたえてくれない。ただでさえ歩行の困難なところへ、道に沿って下水の枡が点々と作られているため、少しでも道からはずれようものならその枡に足をとられたり、木の蓋が腐蝕していて下水に足を踏み込むなど、ひどい目にあっている例も少なくないのである。
 われわれは常に細心の注意をはらって歩行しているのであるが、それには2、30メートル位離れた所から盲導鈴の音をキャッチし、それによって自分の位置を確め、また杖の方向を変えるには、ある程度の音量が必要になってくるのである。もちろん、道路の悪いことで困惑しているのは視力障害者ばかりでなく、入園者共通の悩みであるが、見える者と見えない者とでは、おのずから悩みの度合いも違っていると思う。従ってわれわれ盲人会では、道路の整備拡充や盲導施設の充実を強く訴え続けて来たわけである。その成果と言おうか、藤楓協会よりの施設補助金の一部をもって、オルゴール式盲導鈴への切り替え、及び4か所増設の実現を見ることが出来たのである。その設備に当って自治会から、これに必要な増幅機やその他の備品は、今後の事なども考慮に入れて、少し大型の物を購入しておきたいので、園内に大体どの程度の盲導鈴を必要とするのか、その個数と設置場所を見取り図に記入して提出するように、との指示があった。
 そこで幹部会において検討を行なった結果、道路の悪いこと、寮舎が入り組んでいることなどを考慮にいれて、最低20か所は設置して貰いたい。一つの盲導鈴を過ぎれば程なく次の音が耳に届き、その音に迎えられて、またその次の盲導鈴に杖をつなぐといったふうに、盲導鈴と盲導鈴の間隔をあまり開けないようにして、歩行の安全を計りたいというのが大半の意見であった。だが、それでは周囲から盲導鈴が多過ぎるといった苦情を受けはしないだろうか。そうした批判の出てくることも十分予想されるので、それよりは、敷設場所をもっと研究し、一つ一つの盲導鈴には理解と親しみを持ってもらうことが大切ではないか、という話しに落着き、結局、15か所に絞って申し入れを行なったのである。
 これまで使用していたチンチン式盲導鈴の時には、ほとんど出なかったこの種の問題が、何故近頃になって起きて来たのか。私はそれを次のように見ている。従来のチンチン式盲導鈴は、八秒おき位に一つずつ鳴るきわめて単調なものであったが、音にかなりの切れ目があったことと、いま一つは、それぞれの盲導鈴にスイッチが付いていて、作業者がそれを点滅するだけで、音量の操作が出来なかったところに、かえって問題が無かったと思う。それにひきかえ、オルゴール式盲導鈴は増幅機など必要なセットがすべて放送室に備えられていて、そこから各所の盲導スピーカに音がおくられるという仕組みで、目下「乙女の祈り」の曲が流されている。そんな訳で、自由に音程の調整が出来ることや、取扱いの不馴れから音量の高過ぎたことが批判をかう結果になったのではないか。それにしても、もし雑音視されている向きがあるとすれば、この際改めてもらいたい。何故なら、盲導鈴はわれわれ盲人の目であり、杖をつなぐ道標であるからである。現にこの盲導鈴の支えがあればこそ、われわれは治療棟にも、入浴にも、そして慰問や会合にも出かけられるのであって、杖とは不可分の関係にあると思うのである。
 だが、実際問題として盲導鈴に近い寮舎で生活する人々にとっては、毎日この音を耳にしなければならず、体の悪い時や気分のすぐれない日などには一層音が耳につき、耐えがたい苦痛となることもあろう。それはわれわれにも分らないではない。しかし、寮舎に近い盲導鈴の音が高く聞こえるような時でも、人通りのはげしい治療棟前やテレビ室附近では、周囲の物音に消されて聞こえにくいということもあって、これ以上低くされては困るのである。自分たちが利用しないからといって雑音視したり、騒音扱いすることには、どこかに問題が生じるのではないかと思うのである。
 さて、いろいろと書いてきたが、ここでこの問題をもう一度検討してみると、やはり盲導施設整備費の予算化が今もって認められないというところに、最大の原因がひそんでいるように思われる。モーター付オルゴールにしても僅か1台しかなく、それを連日酷使している状態で、これでは如何に堅牢であり、精巧な物であっても故障は免れず、すでに2度ばかり修理を要したのであるが、せめてもう1台予備があれば交互に使用することが出来、ある程度、モーターの過熱や破損を食い止められるのではなかろうか。ところがそれを購入する財源が無いため、午後からはラジオの音に切り替え、モーターの過熱を防ぐようにしてきたが、このことが今回の苦情を招く原因になったのではないか。ラジオは放送劇、対談、音楽、その他番組によって音が一定せず、また各寮舎に取り付けられているラジオとは違った放送を流していなければならない関係で、音が混同し、問題が起ってきたのもあながち無理とは言えないであろう。もちろん、盲導用に流している民間放送は出来るだけ音を低くして、各寮舎のNHK放送と混同しないように努めてきたつもりではあったが、しかし、ラジオの音はどこまでいってもラジオの音でしか無く、われわれの考えていたようにうまく運ばなかった訳である。
 従って、分後こうした問題を避けるためにも、かねてから運動を行なっている盲導施設整備費の早期実現方を、関係者に強く望んでやまない次第である。





「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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