わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第1部 光を求めて

 第2章 脱 皮(昭和26〜34年)

 6 嬉しいラジオ
            故 兵 頭 亀 吉

 私は重不自由寮にはいって9年になります。その間、社会も、人も、目まぐるしく変ってゆきました。
 先生や看護婦さんのお世話になりながら、耳だけを頼りにすごしてきました。寮より外に出るのは週3回の風呂に行くときぐらいでしたので、この度のホームラジオの据え付けは大きな喜びでした。これまでも、園内スピーカーよりのラジオは耳にしておりましたが、やはり自分の好きな番組を選んで聴ける自由は、何ものにも勝る喜びです。
 年を寄せ、不自由になっても、幼いころ抱いたと同じ未知の世界にあこがれる夢は、心の隅にあるものです。幸い自治会のあたたかい配慮により、重不自由寮に一台ずつのホームラジオを備えていただき、音の世界にひたれることが出来るようになったことは感謝です。
 まだ私と同じ盲人が不自由寮にはおおぜいおりますので、この人たちも音の世界をたのしめるようになってほしいと思います。





「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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