わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第4章 生きる

 34 昔と今          故 宮 内 ツルエ

 わたしは明治43年この島に来て45年になります。長年お世話になっています。わたしは87歳になり、目が見えなくなって、頭もぼーっとして記億力がうすれておりますが、昔つとめてきたことを少しお話ししてみたいと思います。
 北の山すその辺りに、昔は夫婦舎が1陳建っておりました。部屋は6畳で6つあり、6組の夫婦が住んでおりました。食事は1日、男性が麦2合半に米2合半、女性は麦2合に米2合でした。副食は野菜が主で、たまに肉や魚が出ましたが、すべて現物でいただいておりました。手足の悪い不自由な者も皆現物でした。また、当時は電燈もなく、各室の廊下の真ん中に種油で灯しみを3本入れてれて明りをともしておりました。朝はいつも四時頃から起きてご飯を炊いたものです。
 わたしの夫は岡山の生まれで難波といっておりましたが、昭和3年11月に亡くなり、今年で26年を迎えます。その頃、看護作業員は確か昭和4年頃まで、15日で50銭いただいておりました。
 昔と今とを思いくらべてみますと、ずい分と変りました。今は何かにつけて良い言ばかりです。間食にしてもお菓子類はいただけませんでした。ただ時折、季節の果物を300匁ぐらい貰っていました。今では間食もいろいろなお菓子や果物が配給されるようになりました。また、慰安金もいただけるようになりました。こうして考えてきますと、すべてにわたって今の生活は良くなってきております。この良い生活をいつまでもこわさずに保ちたいものと思います。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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