わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第1部 光を求めて

 第2章 脱 皮(昭和26〜34年)

 9 点字の活用
            賀 川  操

 点字が盲人にとって必要欠くべからざるものであることはいうまでもない。私たち盲人が手紙や日記、読書に………と、日常生活において、晴眼者が墨字を用いるように、点字を活用しているのである。
 私たちハンセン病盲人の場合行動範囲が狭いだけに、点字の持つ役割は精神面からみても大きいと思う。25年の歴史をもつ私たちの盲人会は、これまで活動らしい活動もなく、多分に依存的なものであった。昭和28年度に点字がとり入れられ、それ以来、生れ変ったように会活動が活発になり、自主性も高まってきた。最近では、外部との通信もほとんど点字で行なっており、発展を続けている会にとって、点字は絶対欠くことのできないものになっている。従って、会活動を充実させるためには、点字の習得を一層奨励しなければならないであろう。
 病棟に入室している会員から、自治会の募集する短文芸や大相撲、高校野球などの懸賞に、点字で応募できるよう話してくれないか、点字であれば俳句や川柳を忘れないうちに書きとっておくことができるから………、と頼まれた。この問題は、点字を習得している者の一様に痛感していることであったので、早速その事を盲人会として自治会へ申し入れた。するとその返事は、応募数が多く整理が繁雑になるので、点字投稿は困る、しかし墨字でふりがなを付けたものならかまわない、ということであった。しかし、これでは誰かに訳してもらわなければならないという二重手間になるので、いまだに点字で投稿する者はない。
 結局、このことは会員の点字を習うという意欲をそぐことになるのではなかろうか。私たちは苦心して習った点字を園内で活用したい。それができてこそ、点字をおぼえた喜びが湧いてくるというものである。
 NHKの療養文芸や高松のラジオ文芸でも、点字投稿が認められている。川柳を作っているある会員が点字で投稿して、度たび入選しており、そのことが点字の練習や作句の励みになっているという。
 こうして、外部では点字が広く通用しているのに、身近な園内で使えないのはおかしな話しである。今期もまたこのことを自治会に要請しているが、点字奨励のためにも、会発展のためにも、是非善処してもらいたいものである。





「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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