わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第1部 光を求めて

 第2章 脱 皮(昭和26〜34年)

 10 盲人と洗濯
            今 井 種 夫

 治療面や衣食住については、充分とはいえないまでも一応安定しつつある今日、依然として私たち盲人の大きな悩みとなっているものに洗濯の問題がある。一体盲人の洗濯がどのような状態におかれているのか、二、三の事例をあげて私見をのべてみることにする。
 現在盲人会に入会している者は72名で、会員外の弱視者を加えると100名を越えるであろう。この人々が作業人による大洗濯を受けたり、知人に頼って洗濯をしてもらったり、或いは自分白身で洗濯をしているなどまちまちである。大洗濯というのは園内作業の一つで、軽症者数名によって不自由者寮が月4回、病棟、重不自由者寮は月8回行なわれているものである。しかし冬の間は比較的洗濯物も少ないが、その他の季節には月4回の洗濯ではどうにも間に合わない。また病棟入室者の場合にも、熱発のときなど一日に何回となく、寝巻や下着をとりかえなければならず、月8回の回数をもってしても満たし得ないことは明らかである。
 今回会員の洗濯について調査したところによると、会員72名中、
 一、大洗濯を利用している者18名。
 一、知人に頼る者20名。
 一、自分で洗濯している者15名。
 一、知人または大洗濯に頼りながら下着類等を自分で洗っている者14名。
 一、夫や妻に頼る者14名。
 となっている。
 この資料が示すように、自分で洗っている者が大きい割合をしめている。これはなぜであろうか。自分の身につける衣類であれば、少しでもさっぱりと垢ぬけした清潔なものをと希う気持からであろう。
 かつての大洗濯は洗濯機もなく、作業人が病棟や重不自由者寮、不自由者寮から洗濯物を集めてきて、それを洗っていたのであるが、石けんも充分でなく、極端に汚れたものも混っていて、限られた作業人の手では思うようにきれいにならなかった。こうしたことから誰もが大洗濯に出すことをためらうようになった。そのため親しい人に頼んで洗濯をしてもらうようになっていった。しかし頼っていた知人が、病気や手に傷ができて洗ってもらえなくなると、たちまち途方にくれてしまうのである。
 そんなとき探りながらでも苦労して洗うのであるが、折角洗った洗濯物が、竿が汚れていて乾いてみると黒い染がついていたり、洗濯板で麻痺した手を擦りむき、それがなかなか治らず、長く苦しむことにもなる。それでもなんとかやれるうちはよいが、体の調子が悪くなり、病棟に入室しなければならなくなると、洗濯のことが大きな不安となってくる。ベッドで熱発に苦しみながら、汗になったもののことまで心配しなければならないのは、全くやりきれない。せめて入室したときだけでも、このような煩わしさから解放されたいものである。
 いつか一盲人が滝本さんに述懐されたことだが、洗濯をしてもらっていた人が風邪をこじらせ、洗濯ができなくなり、止むなく大洗濯に出し始めたが、しばらくして晴眼者の人から、きれいになっていないと教えられた。こんなことでは先生や、看護婦さんに嫌な思いをさせるので、誰か洗濯をしてくれる人があれば、療養慰安金の500円全部を上げてもよいと、しみじみ話されたという。
 この療養慰安金は、たばこや切手、歯磨きなど日用品を補なうため、国から月々支給されているもので、それを節約してでも、洗濯の悩みからのがれたいと切実に思っているのである。これはその人ひとりの歎きではなく、私たち盲人誰しもがもっている苦しみであり、不安となっているのである。
 他園の例をもってくることはどうかと思うが、同じ療養所でありながら菊池恵楓園では、不自由者寮に各1台の洗濯機が備えられ、看護作業人の手によって洗ってもらえるということで、私たちにとってはまことに羨しい限りである。当園でも昭和26年に、大型の洗濯機が設置されてからは、以前と違って洗濯物がいくらかきれいにできるようになった。しかしこの1台の洗濯機に頼っている者が105名もあり、それに事務所、集会所の座布団カバー、理髪関係のもの、予防着、包帯、ガーゼに至るまで洗濯されている現状で、全くフル運転であり、これ以上のぞむことは無理なことである。また雨の日や梅雨どきなど洗濯物が乾かず、おのずと回数も減らされることになる。乾燥室の設備があれば、こうしたことも解消されるであろう。今一歩進めて綻び縫いやつぎ当て、それに糊つけ、アイロンかけなど行なわれるようになれば、大洗濯を利用する者がどんなに助かるか知れない。そうなれば苦労して自分で洗濯している者や、知人に頼っている人なども、安心して大洗濯に出すようになる。療養所のあり方から言ってもそうあるべきではないか。これは盲人だけに限ったことではなく、大洗濯に頼っている不自由者総ての願いである。
 たとえ水不足という悪条件があるにしても、せめて病棟入室者、重不自由者などの洗濯は、回数に制限なくしてもらえるようにならないものであろうか。当園の現状からいえば、差し当って洗濯に使う水の確保、洗濯機の購入、設備に要する経費の問題、洗濯作業制度の根本的な検討などが必要となる。一般社会の病院では、シーツや衣類など極めて清潔に保たれており、療養所の衛生的見地からいっても、洗濯が充分に行なわれ、清潔であらねばならないことはいうまでもない。自治会及び園当局においても、この点については考慮が払われているのであろうが、私たち盲人の大きな負担となっているこの洗濯の問題が、速やかに改善されることを、各関係者に望んで止まないのである。





「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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