わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第1部 光を求めて

 第3章 環境改善の闘い(昭和35~42年)

 27 【座談会】 壺坂寺を訪ねて
   出席者 今井種夫 磯野常二 畠山一義 島田 茂
                        東條康江 牧  実
                    司 会 吉田美枝子

司会 皆さん暑いところご苦労さまです。去る6月26日、7日、8日と壷阪寺のご招待をうけて、盲人会から7名の者が、奈良見物にでかけた訳ですが、今日は楽しかったことや思い出など話合ってもらったらと思います。その前に一応こういう運びになりましたことについて、島田さんにちょっと話してもらいましょうか。

島田 一昨年は長島盲人会、昨年は邑久盲人会が招待された訳ですね。そして今年はうちということで、去年の8月9日壷阪寺の常盤住職が来られまして、打ち合わせを行なった結果、3月に招待したいからということだったんです。ところが常盤住職が印度の救癩センターの開所式に出かけられる都合もあったんでしょう、それで3月が駄目になったんです。

司会 それを今期に引きつがれて計画をすすめた事について、今井さん。

今井 この計画を引きつぎ壷阪寺に連絡を取ったところ、5、6月頃になるという事でした。私達としては気候のよい10月頃を希望していたのですが、5月の下旬壷阪寺の好井先生が高松まで来られ海老沼分館長と話合われたそうです。その結果壹阪寺の方で立てて下さったスケジュールに従って、訪問さしていただく事になり、今回の奈良見物となった訳です。

司会 そういった事で希望者を募り抽選の結果、ここに揃っている皆さんが行かれた訳ですが、出発の朝は風が強くて宇野まで直行の予定を変更したりしたんですが………

磯野 僕は旅になれないので不安だったんです。6時半に松風で発ち、高松に着いたのが7時、連絡船が7時20分なんで、周囲の目を気にする暇もなく、かけ足で船にとび乗った訳です。不自由な者にはもっと時間の余裕をもたなければいかんと思ったな。

島田 僕が心配したのは、階段の登り下りだったんですが、案じていた程の事もなく連絡船伊予丸に乗る事が出来たんです。とても乗心地も良く、宇野の方へ渡ったのは初めてでした。

司会 その他の人はどう? 畠山さんは体の具合が余りよくなかったようだけど。

畠山 僕は出発の朝熱が7度あまりあったのでどうかなと思ったんだが、案外苦しくなかった。

束條 私も心配してたんだけど、大島を出てみるとそれほどの事もなくてね。16年ぶりの旅行だったんで楽しかったし、連絡船の中では古巻様といわれる方から、御厚意をよせていただいたりして………

司会 初めての旅行という人が多いのに、心臓が強いのかしら。宇野から急行鷲羽に乗った訳ですが、列車の中はいかがでした。

  やはり知った者同志が旅しているという気安さはあったな。健康者のような気持で旅行が出来たのが、何よりもうれしかった。

島田 心臓やぶりといわれている宇野の桟橋から駅までの間ね、思ったほどのことはなかった。

磯野 15年程汽車に乗っていないんだが、最近は電化されてよくなっていると聞いていたんです。ところが鷲羽三号に乗ってみると思ったより揺れるし、騒音も高く、これが急行かなあという感じを受けた。

司会 今井さんあたりどうでした。

今井 座席を占め窓外にひらける風景を聞き乍ら、岡山に来た時、マスカット売りや桃売り娘の声を聞いて、やはり旅というもののなつかしさと言いますか、車中で実際に経験したよろこびは大きかった。

司会 列車の中でお弁当も食べたのですが、昧はどう………

島田 駅弁を買ったんだけど、皆が近くにいて周囲に気兼ねがなかったせいか、とてもおいしかった。

司会 宇野を発ってから新大阪までの3時間余りは長かったですか。

島田 附添の坂崎さんが気を配ってくれて、窓外の説明なんか聞いていると、それ程長いとも感じなかった。それから列車のトイレね、不安だったんだけど行ってみると、案外簡単だったし長くなかったね。

束條 本当に短かく感じたわね。

司会 そういうことで、新大阪駅に着いたのは12時15分でした。新大阪駅はどうでした。

今井 新幹線の駅として建てられたと聞いておりましたが、ホームヘ下りると広々とした様子がその空気の流れにも感じられました。

東條 本当に広々とした感じだったわね。

今井 奈良女子大の秋沢さんが、この5月に島で貝掘りをして遊んだ時のそのままの声で迎えて頂き、感激でした。

司会 壷阪寺からも迎えに未てくれていたんでしょう。

島田 そうです。好井先生、奈良県予防課の山村さんも来て下さっていたな。それから僕は新大阪駅というところ、相当に賑やかだと思っていたら静かなのに驚いたし、構内の床がすべすべしていて大理石でも踏んでいるような感じで、とても印象的だった。エスカレーターで2階へ上ったけど、やはり新大阪駅の雰囲気は感無量だった。

司会 エスカレーターこわくなかった。

島田 ちょっとおそろしかったが乗ってみると、何んだこんなもんかと思った。

磯野 僕も乗ったんだけど、足が悪いので一番上へあがった時、ちょっと飛ぶような感じになった。その点やはり盲人には不向きじゃないかと思った。

司会 みんな乗った訳じゃなかったのね。

畠山 僕は看護婦の浜端さんと看護助手の富岡さんに両方から抱えられて、階段をのこのこと上って行った。

司会 楽よね階段を上るよりは。今井さんは乗ったの。

今井 附添がどんどん手を引いてくれるもんだから、それについて階段を上がって、そして下りて行った。

東條 ちょっと乗ってみたい気持はあったけど、危いからといわれて仕方なく階段を上った訳。

司会 改札口が2階だったからいったん上へあがらなくてはならなかったのね。それからバスのところへ出た訳ですね。

磯野 そうやね。

司会 列車を降りた時バスガイドさんも、迎えていてくれたわね。

島田 奈良交通のバスガイドさん、古賀さんといったね。とてもやさしい人で、バスの中でも行届いた介助をしてくれたね。

司会 12時30分新大阪を出たのですが、大阪市内を通った時の感じはどうですか。

磯野 さすがに煙の都といわれるだけあって、御堂筋あたりの排気ガスはひどかったね。

東條 すごく空気が悪くて、いかんなあと思っているうちに、だんだんあやしくなって少し酔ったんですけど。

司会 それで竜田川へ着いたのが2時頃だったかしら。

島田 バスを降りて川のほとりを歩いたんだが、道も悪いし、万葉集で知られているほどロマンチックではなかったなあ。

磯野 楓や桜の木もあったんだけど、まだ木は小さいし、渓谷ですばらしいのかなあと思ったけど、案外だったな。

司会 田舎風な感じだったわね。

  竜田川は秋に行けば良いところだろうな。

島田 時代の流れというか、歌のイメージとは大分違っていたな。

東條 水がにごっていると聞いてがっかりしたけど、澄んでいたら素晴しいだろうなと思った。

司会 10分位の散策で次の法隆寺へ向った訳ですが、有名な法隆寺どうだったですか。

今井 柿食えばの俳句で、子供の頃からあこがれていた法隆寺へ来たんだなあと感激………門を入った所に噴き出している清水で喉をうるおしたんですが、とてもおいしかった。

司会 我が国最古の寺だといわれる法隆寺を案内されて、そういったもの感じましたか。

島田 盲人の悲しさというんか、古い建物を目の前にしながらも、列車の汽笛などが遠くから聞こえてきて、現代ということがどうしても離れないんだなあ、歴史で習ったことを思い出し乍らガイドを聞き、今の法隆寺を自分なりに感じとった訳です。それから、あの有名な夢殿へ行けなかったのが残念だった。

磯野 古賀ガイドさんが手をたたきながら導いてくれたし、説明のしかたも愛生、光明の盲友を案内した経験もあって、僕達にも手に取るように良くわかった。丁度門を入った所で突然俳句の友達の浅井久子さんに出逢ったけど、旅先で知り合いの人に声をかけられることは嬉しいものです。それから「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑に触れて、法隆寺に来た実感が湧いてきた。

東條 その広さは見えないながらも感じた訳ですね。古賀さんの行き届いた説明で少しは法隆寺というものが、分ったような気がします。

畠山 僕は竜田川も法隆寺も失礼したんだけど、バスに残っていてハンセン病について木本運転手と話しておったんです。帰って来た島田君から、水がおいしかったと聞いて残念だった。

司会 牧さんは少し視力があるんだけど、どうだった。なんといっても広いからね、何もかにも触れてみるという訳にはいかないので。

  さあどう言ったらいいんかなあ………あんまり感動が大きすぎて、どう言っていいのか言葉でいい現わせんけど………

司会 じゃあ橿原神宮へうつりましょうか。

今井 大きな鳥居を二つくぐって行ったんですけど、靴裏に玉砂利のはじける音がすがすがしかった。昔、紀元節にはここで催しが行なわれたことを思って立っていますと、畝傍山から吹きおろしてくる風が快かったです。

島田 坂崎さんが「君は抱くのが好きだから」といって、大きな木の鳥居にかかえつかせてくれた。それから、すぐそばの橿原神宮と彫り込んである御手洗の文字を白杖でさぐってみたんです。それをスナップ写真に撮られていた。

束條 とても印象に残ったね。

磯野 玉砂利の白いのとうっそうと茂った緑の調和がやはり立派だなあと思った。

  すごくうっそうと茂っていて、過ぎ去って来た時代を感じさせられたなあ。

畠山 橿原神宮と聞いてしばらくバスで行っただろう。非常に広大な面積をとっているという感じがした。

司会 自然植物公園もあるらしいからね。

束條 すがすがしさが感じられたね。

司会 それからいよいよ壷阪へ向った訳ですが、壷阪へ登る道、バスの揺れなんか気になりませんでしたか。

  僕の横に坐っていた庫元さんが、カーブする度に「アー」と声を出すので、相当深い谷かなあと感じた。そしていよいよ壷阪寺だなあと思った。

島田 やはり大阪と違った奈良独特の静けさ、そういうものが、壷阪に行く迄にも感じられたなあ。山の上だから道が悪いのじやないかと思っていたが、それ程でもなかった。苔の匂いもしていて………。

  壷阪というイメージからすると、相当深い山を感じていたんだけどなあ。杉の木もあまり大きくなくて、想像していたのと違っていた。

今井 ガイドさんが、お寺が見えましたよ、と教えてくれましたが、浪曲でしか壷阪の認識はなかったんですが、道路も整備されており、近代的な壷阪寺に驚いた訳です。

磯野 朝6時半に島を出て、竜田川、法隆寺、橿原神宮と見物して来て、これから十八丁登れば壷阪だと思うと、何とも言えない感動をおぼえた。

司会 バスの窓から見ているとすごい崖だったそうですね。壷阪へ着いたのは5時位でしたね、そしてすぐ宿舎に案内されたのですが、落着いた時の感じはどうですか。お茶がおいしかったんじやなかった。

束條 島の水と違って、皆、おいしいおいしいとお茶をたくさん飲んでいたね。

島田 旅馴れていない者ばかりだったんで、緊張がほぐれたせいもあったし、あちらの方のこまごまとした気の配り方がお茶の昧ににじんでいて、尚おいしかったんじやないかなあ。

  バスが着いた瞬間に向うの方々が、おかえんなさい、おかえんなさい、と声をかけて下さった言葉からも第一印象が良かったなあ。

今井 壷阪寺の常盤先生はじめ皆様が私達を暖かい気持で受け入れて下さったことが、里帰りを一層意義深いものにさせてくれました。

司会 宿舎で少し休憩して夕食は6時でしたかね、宿舎から坂を登って食堂へ行った訳ですね。

畠山 精進料理が非常にうまい昧だったね。精進料理といえば高野豆腐を思い出すんだけど、あったかなあ。とにかくおいしい料理だった。

  あの持ちにくい器には困った。翌日からはお茶碗にしてくれたからよかったけどなあ。

島田 とても昧付はよく、お代りしましょ、とサービスもよかったし、本当に家庭にでも帰ったような夕食だったなあ。

束條 こまかく気を配っていただいてね。

司会 百畳に余る広い部屋だったらしいけど、職員の方も一緒に食事をしたことね、何でもないようなことだけど。

畠山 まあ職員と一緒に飯を食ったということ、青松園の歴史はじまって以来のことだね。

  そうしたことも常盤先生の心遣いだったんだろうね。

今井 常盤先生が歓迎の挨拶をされ、食事も一緒にして下さいました。

司会 大変楽しい、おいしい食事をいただき、7時半からの盲老人ホーム慈母園の方々との交歓会にのぞんだ訳ですが、会場の講堂に入る時拍手で迎えて下さったでしょう、その感じは………。

  あの拍手で旅行の疲れも一度にとれた気がした。最後の者が入ってしまう迄手を叩いてくれていたということ、本当にうれしかったなあ。

島田 呼吸の揃った心からの歓迎ということが、あんなところにも感じられたなあ。

司会 そしていよいよ交歓会に入った訳ですが、その感想は………。

今井 堀田園長の司会で、常盤先生、それから県庁の山村さん、高市ライオンズクラブの方、慈母園代表の伊場野さん達から歓迎の言葉をいただき、感謝の思いでいっぱいになりました。

磯野 今井さんもお礼の挨拶をされたけど、その挨拶の言葉に聞いていたおじいちゃんおばあちゃん達が涙をこぽしていたということだったなあ。

島田 慈母園の方々は高齢者ばかりなのに、こちらが圧倒される位若い感じだったなあ。

司会 交歓会で歌った感じは。

島田 僕がトップを切ったんだけど、やはり旅の疲れもあって呼吸が乱れ、上ってしまったんだけど、とてもよろこんで拍手をしてくれたんで、気を良くしてハーモニカも一生懸命吹いた。

  おじいちゃんおばあちゃんが詩吟や音曲などをやってくれたんで、何かお返しをしなければいかんと思って、ネブカ節でもいい思い切り歌おうと、ツツいっぱいの声で歌ったんだけど、歌詞を間違えたりして………。

東條 みなさん沢山来て下さっていたんで、私も下手な歌をうたったんですけど、歓迎に応える意味で一生懸命歌った訳です。

司会 ハーモニカを特って行って良かったね。

  本当に良かったと思う。これから行く者は歌の練習くらいしておく必要があると思ったね。

磯野 僕は間に合せにカスタネットを借りて拍子をとったんだけど。

今井 私達を引卒して下さった海老沼分館長の司会が特に良かった。常盤先生にも歌っていただいたし、海老沼さん自らも隠し芸をやるなど本当に楽しかったです。

司会 身に余る歓待を受けて楽しい交歓会だったね。終ったのは9時半でしたね。それからお風呂をいただいた訳ですが、混浴だったんであわてたんじゃないですか。

島田 でも入るのは別々だったよ、盲人が入りやすいように工夫されていたな。水がいいのか泡立ちもよくすべすべしていた。

東條 あの風呂をもらえたので、汽車やバスの疲れをきれいに洗い流すことが出来てよかったね。

司会 そして壷阪の最初の夜、どうですか島田さんエピソードを生んだんですが。

島田 てれるな………。一番困ったのは馴れない水洗トイレだった。実際あのドアーには弱った。坂崎さんに誘導してもらったんだが、サンダル下駄がぬげそうで思うように動かず、例のバックオーライを演じてしまった訳だ。それが寝静まった1時頃だったろう、みんなにガイドさんの笛が要ると言って笑われた。

  あれは内側から鍵がかかるようになっていて、僕達にはちょっと不向きだなあ。

島田 うっかりすると缶詰になるもんな。

司会 夜は静かだったでしょう。

 あんまり静かすぎて眠れなかった。

今井 壷阪の夜のバックオーライはよい土産話になったなあ。

司会 みんな一つ部屋に寝て、修学旅行にでも行っている感じだったね。

今井 そう、合宿でもしている感じでした。

牧  夏布団だったので少し寒い位だった。

島田 浪曲にもあるだろう、頃は6月中の頃………。蛙の声が聞けるかと思ったけど。

畠山 聞えるのは近鉄の汽笛と夜鷹の声のほかは森閑としとったね。

磯野 時計の音もしなくて本当に別世界に来たような感じだった。

束條 静かでぐっすり休むことが出来たね。

  それにしてもみんなの早起きには参ってしもうた。僕がトイレから戻ってきたら、みんなぼつぼつ起きかけただろう、子供みたいに………。

司会 それにしても畠山さん、休の具合はどうだった。

畠山 少し熱が出たんで、宿舎で休んでいたんだが、交歓会の音楽や拍手が手にとるように聞こえていた。

  心配しとったけど、畠山さん案外元気やったな。

畠山 うん、僕は目的があって行ったんだ、奈良の民度が知りたかったのと、壷阪寺も知っておきたかったし、唐招提寺には是非行ってみたかったんだ。

司会 朝早く起きて本堂へお参りした感じはどう。

島田 常盤先生の説教な、信仰をもってない僕だけど、耳を傾けざるを得んような上手な説教だった。あれはやはり常盤先生の人徳だろうな。

磯野 宗派に拘らずいい話だった。布施の心についての法話は………。

今井 常盤先生の若さにもよると思うんですけど、先程誰かが言ったように宗派を越えてみんなの心に沁みるようなお話だった。

司会 本堂を出て行ったところに狼谷があったわね。沢市が身を投げたという。

畠山 狼谷といわれていたが、鶯がきれいな声で鳴いていて、何とも言えなかったな。

島田 説明を聞くと下の方に石垣をついていて、谷には水もなく、空想していた狼谷の方がきびしさがあってロマンチックだったな。

  僕のぼーっとした眼で見ても、下は石垣で向うに谷らしいものが見えていた。

磯野 本堂の前で記念写真を撮ってから、匂いの花園へ向って行く道で、ホトトギスを聞いたなあ。ホトトギス鳴きつる方をながむれば………という歌があるけど、鳴きながらとぶホトトギスの声を聞いて、山に来た感じがした。

  僕もホトトギスの声を聞くのははじめてだった。好井先生に、あれなんという鳥ですかと聞くと、ホトトギスだと教えて下さった。

司会 壷阪寺のある高取山は吉野の山脈に続いているそうですね。匂いの花園へ上って腰かけるとオルゴールの鳴る椅子があったわね。

磯野 テーブルを囲んで四つの椅子があったんだけど、音楽の流れる椅子は二つであとは故障していた。

島田 匂いの花園はラジオやテレビでよく紹介されるんで、一度行ってみたいと思っていた。花には点字で名前が書かれているし、ミュージックガーデンに腰かけて音楽を開いていると、匂いの花園は本当に盲人の公園だと思った。

司会 開眼の喜びの沢市像があったわね。あの前でも写真撮ったんじやない。

今井 慈母園の人達があそこに集って、食事をするとか聞いたんですけど、さぞ楽しいだろうなと思いました。

畠山 確かにいろんな点でこまやかな配慮がされていると感じたね。

島田 あそこからの眺めがいいそうで、大和三山も望めるとか。山の朝の冷気を痛いほど感じたな。

東條 朝の山の空気と木の匂いがね、とても印象に残っています。

磯野 現在の寺は観光化されているんで、壷阪でもそうだったなあ。

島田 壷阪も観光地という感じで、折詰の空箱なんか焼いていて、観光の中に歴史を訪ねるという、これも現代の世相じやないかね。

畠山 どこの寺も時代の流れには逆らえんということだ。

東條 みんなで古い物を大切にしていきたいものね。

司会 高取山には城あともあるとか、もう少しあのあたりを歩いてみたかったね。

  匂いの花園の下の道を登って行けば、城あとへ行くらしい。

島田 高取城跡には県道が通じているらしいな。その道が奥吉野へ通じているとか。

司会 7時に朝食をいただいて、奈良の古い寺々を訪ねた訳ですけど、最初に訪れた唐招提寺はどうでした。

畠山 僕はこの寺に関心をもっていたんだ。1200年の昔に建てたという寺をみて、鑑真和上は盲人でありながら偉大な人物だと思った。

今井 鑑真和上が渡来して日本に仏教をひろめ、帰化して生涯を終ったという唐招提寺に親しさを覚えるんです。現在もその当時のままに残されているとガイドさんから聞かされまして、古い歴史をもつ寺の壮厳さ、雄大さを感じました。

島田 萩の寺で有名で、仲秋の名月には歌会なんかも行なわれるということを聞いて、萩の花の咲き乱れる頃を想像した。

磯野 僕は金堂の千手観音が最も印象に残った。952本の手を持っておられ、あとの手は修理したとき入らなくなったとか、仏像の前に一番近く寄ったのはあの寺ではないかなあ。

畠山 寺全体の水はけをよくしてあったことと、1200年前に建てられたというだけあって、大きな柱の付け根は少し朽ちかかっていたとか開いたけど、やはり古いという感じを残していたわなあ。

司会 6月6日の開山忌には、開山堂の扉を開いて、鑑真和上の肖像を拝観させてくれるそうだけど、少しおそかったね。

畠山 僕は中島健蔵さんという評論家が北京放送で紹介していたのを聞いて、初めて唐招提寺を知った訳だ。

東條 昔の人は偉かったね。1200年も経って尚その建物があることからみても、お寺を造ることに誇りを持っていたんじやないかな。現代はこんなに長く残る木造建築なんか、造れんのじやないかと思うね。

畠山 僕の手を引いてくれていた浜端看護婦さんは、すごいなあの連発やった。

司会 それではすぐ隣りにあるといわれた薬師寺はどうでしたか。

島田 印象に残ったのは仏足石だなあ。あの大きな石は国宝になっているとか、昔の人はそれにさわってお薬師さんを拝んだというんやけど、盲人の心境と同じだと思った。

  修学旅行の時と違って、今度は説明を聞きながら思いうかべていると、何となくさびしさを感じたな。

島田 僕はその点奈良は初めてなんで、本尊の薬師如来や、日光菩薩、月光菩薩が兵火によっていぶされ、黒光りしているとか聞いてすごく新鮮な感激をおぼえたな。

磯野 特に感動したことは、敗戦後マッカーサーが、仏像をアメリカの博物館へ持って帰ると言ったのを、管長がきっぱりとはねつけ守ったからこそ現在に残っているんだと思う。それから仏足堂で、これが親指、これが中指、足の長さはこれ位ですと、手をとってガイドさんが親切に教えてくれたけど、ハンセン病にたいする偏見など微塵も感じられなかった。

  僕は階段や敷居の多いのには困った。

今井 盲人の場合、敷居や階段の多いのは困るんですけど、階段を上り、一つ一つの敷居を越えて行く毎に、心の清められる思いがしました。

島田 薬師寺で奈良交通の河野さんが、風鈴を買って下さって、今も盲人会館で涼しそうに鳴っているけど、本当に良い記念だな。

司会 それでは薬師寺を後にして法華寺へまいりましょうか。法華寺では上にあげていただいて、御門跡さんにもお目にかかり親しくお言葉をいただいたんですが………。

今井 久我御門跡さんには、私達の青松園を訪問したいとか伺っておりましたんで、親しい方にお会いしたようでした。昼食のお世話もして下さり、お話合いもさせていただくことが出来て、その点本当にうれしく思いました。お話の様子では、秋頃にお訪ね下さるそうで、その日を待遠しく思っております。

畠山 あそこでいただいたお茶とお菓子はとてもおいしかった。

  尼さんに手を引かれて、廊下を通って本堂へ行ったんだけど、隅々まで整頓されているようで、さすがだという感じがしたな。

島田 法華寺はハンセン病にはゆかりの深い寺だとまず感じた。久我門跡さんが特別に私達に会って下さったということも感激だったし、本堂の横には首だけの像や滝ロ入道の恋文で作られたという横笛の紙子の像は、虫が食って朽ちかけていたが、これらはみんな国宝だそうで、私達は見えないということでさわらせてもらった。

今井 庭の樹木は京都御所から移したんですよ、とお話し下さり、身分の高い人という感じはなく、本当に親しみ深い方でした。

磯野 あそこで犬のお守りをいただいたな。安産のお守りだそうで、久我門跡さんはじめ尼さん達が線香の灰で作られたもので、買っている人もあったな。

島田 光明皇后が癩患者の背中を流されたという空風呂にも案内してもらったな。尼さんに手を取られて入ったんだけど、何か狭苦しい所だったな。

司会 法華寺ではゆっくりさせていただいて東大寺へ向った訳ですが、柱くぐりなどもして楽しかったんじやない。

島田 大仏さんの大きさは説明を聞いても実感として受け取れなかったけど、柱を抱いてみると三抱えに余っていた。そんな柱の一本に大仏さんの鼻の穴の大きさと同じ穴が作られていて、桂くぐりをするようになっていた。僕は骨体美だから自信満々でトップを切ってくぐったんだけど、楽々とくぐれると患っていたら、中程でぐっと締めつけられて、ありゃあ、これはどうしよう、あとへも先へも行けず、ばたばたやっていると手を引っ張ってくれてどうにか出られたんだけど、くぐる前とあとの感じとでは全く別世界に出たようで、この世に誕生するのはこんなもんじやないかなあ、何か神秘的な解放感だった。

司会 磯野さんはどう。

磯野 僕は2番目にくぐったんだが、島田君が言ったように中でちょっと圧迫されるような感じがした。次に誰が出てくるかなと思っていたらよその観先客が出て米たんで驚いた。この辺でコンプレックスを捨てたらよいと思った。

  中に手を入れたら、つるつるとしていてなめらかな感じで、昔から数多くの人がくぐってきたんだと思った。

今井 私は最初くぐろうと穴の前に立ったんですが、何かこわいようで躊躇していると、次々にみんなくぐるので思い切ってくぐったんです。何か心のよごれが洗われる思いがした。

 心がけの悪い人はくぐれんそうやね。

島田 善人であることが証明された訳だ。

司会 あれはね、やせている人でも肥えている人でも一寸つまる感じがするそうよ。東大寺では随筆家の岡部さんも、山根さんも来て下さっていたわね。

島田 そうやね。岡部さん達は2度ばかり島へ来られたことがあるので、お会いした時とてもなつかしかった。僕は言葉をかわしたんだけど、あの関西弁が特に心に残った。

司会 旅先で知った方に会うということは、ほんとうになつかしいものね。

島田 それに岡部さんは古い寺のことを良く書かれているんで、東大寺で会えたということに感動したなあ。

東條 お元気そうな岡部さん達の声を聞きながら、とうとう挨拶しそびれてしまって。

今井 岡部さん達もこの秋には来て下さるそうなので、その時にはきっと話がはずむことだろうなあ。

司会 東大寺を出て奈良公園をバスで行った訳ですが、バスの中からではあまり感じもわかなかったと思うんだけど、どうでした。

磯野 奈良公園のどのあたりだったか、店で買物をしただろう。あの時僕は鹿センベイを買って鹿と遊んだんだけど、センペイを取られてしまって、記念写真を撮ってもらう間もなかった。

畠山 僕はね。あの公園でガイドの古賀さんに借金をしとるんだ。鹿センベイを買ってきてもらったのに、代金を払わずに帰ってきてしまって気になっているんだ。

司会 奈良公園では20分位買物をして、奈良女子大に向った訳ですね。3時迄に行かなければというんで………正門をくぐった感じどうでした。

島田 女子大の門をくぐるということ、男の僕は一寸気おくれがした。明治の建物だと聞くが、一歩入るとやはり近代的な感じだった。女子大にいるということだけでまぶしかった。

磯野 ちょうど授業が行なわれているとかで止むをえなかったんだけど、校内をも少し歩いてみたかった。

島田 点訳クラブの部室に行けなかったのが残念でした。日程にはあったんだけど………。

 大学というところは、カバンを提げて入って来る人があるかと思うと、帰って行く人があって変な感じがした。

今井 奈良旅行のあこがれの一つは、女子大でクラブの皆さんとゆっくり話が出来るということでした。あいにく授業中だったんでそうしたことも出来ず心残りでした。

司会 まあ心残りはあっても、一応女子大の門をくぐり、皆さんと記念写真を撮ることが出来たんですから………。そしてあいた時間を奈良公園に引き返して、鹿と遊んだ訳ですが、鹿はこわかったですか。

今井 こわかったです。人に馴れている鹿といっても、あんなにとり囲まれては………。

島田 角にさわってみたんだけど、毎年切るそうでなんだかまだやわらかい感じだった。大きい角を持つ鹿は、僕の身長位あってたくましかった。

東條 牝鹿は子供を連れているのであぶないとか言っていたけど、近よって来た牝鹿は、おとなしくて背や首をなぜてやると目を細くしていたそうです。可愛いいバンビーがいたそうよ。

磯野 飼いならされていると、こんなにも人をおそれないのかと感心した。

司会 30分余り鹿と遊んで、ふたたび大和平野を壷阪へ帰り、夜はまた慈母園の幹事の方と懇談の時間をもったんですが、どうでした。

今井 堀田先生や慈母園の幹事の方達、それに昨夜感激されたというライオンズクラブの方々も加わって頂き、なごやかな懇談の時をすごした訳ですが、やはり充分な時間がなく、まだまだ話し足りない感じでした。

島田 析角行ったんだから、園の施設とか、おじいちゃん、おばあちゃんとも色んなことを話し合いたかった。若し機会があったら、慈母園での時間をもっと多くもちたいと思う。壷阪へ行って壷阪を知らずに帰ったことが、やはり心残りだった。

司会 壷阪寺で2晩をすごし、一応慈母園の方達と交わることが出来て良かったと思うんです。帰る日は明け方から雨が降りだして、本当は音楽堂なんかへも案内していただける筈だったんですがそれも出来ず、雨の中を帰って来た訳です。2泊3日の旅行を通して感じたことを、最後に一言ずつ言ってもらいましょうか。

今井 私達盲人が2泊3日の楽しい旅をさせていただいたことは、常盤先生はじめ関係者のあたたかい思いやりによるものです。とりわけ若草山の鹿に囲まれるということも体験しましたし、すべてが初めてのことばかりで、今も感激をかみしめています。

  旅行の前後は雨だったのに壷阪にいる間は天候に恵まれ、肉親にもまさるあたたかさで、奈良の都を見物させて頂いたということは、生涯忘れることの出来ない嬉しい思い出です。

島田 盲人でも旅行を楽しめるということがわかり収穫だった。じかに奈良の都の歴史にふれ、人々の好意にふれることが出来て嬉しかった。出来るならもう一度行きたいという気持だなあ。

磯野 常盤先生はじめ慈母園の方々、女子大生、奈良県庁の方、奈良交通の方々の御厚意、また岡部伊都子さん、その他の方々にも会えたということで、里帰りという言葉が実感できた。

畠山 僕は3日間の奈良見物を通じて感じたことは、ガイドさんに東西南北を説明の中に入れてもらえると自分の頭の中にコースの地図が出来たのにと思った。とにかく楽しかったし、帰りの特急夕凪はとても乗り心地がよかった。

東條 本当に久し振りの旅行で、多くの方々に接し、心と心のふれあいの出来たことを感謝しています。楽しいたくさんの思い出が出来ました。

司会 こうして思い出話をしていると、何時迄も話がつきないのですが、今日の座談会をこの辺でおきたいと思います。





「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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