わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第2章 失 明

 13 縫い針            松 野 鏡 子

 女性にとって縫い針は欠かすことのできないもので、わたしは裁縫を仕事と思わず、趣味としでたのしんできました。縫い針をもてば心が静まり、1枚1枚仕上っていく着物を見るとき、たとえようのない嬉しさでした。
 ところが、10幾年前に、私はハンセン病によって視力をうばわれ、縫い針とは縁遠いものになり、毎日部屋の隅に坐っておりました。同じ寮の姉妹たちが笑いながら針仕事をしているのを、どんなに羨ましく思ったことかわかりません。
 そんなある日、ヘレン・ケラーさんの話を聞いて、ヒントを得たのです。わたしは自分の手が麻痺していないことに気づき、針をもってみようと思いました。たとえボタン1つ付けるのに1日かかっても、ひとの手を借りずに済めばいいじゃないか……と、夫の上着のボタンを取って付けてみると、思ったより早く出来、大成功でうれしく、涙が出ました。それからは自信がつき、ボタンはもちろん、ほころび、継ぎあても出来るようになりましたが、厄介なのは糸を通すことでした。糸を長くしてもらってももつれたり、使ってしまえばまた頼まなければなりません。なんとかして自分で糸をつなぐ方法を考えました。まず、使い残りの糸の先を2本に割り、糸巻きの糸の先も2本に割って、4本の糸の先を合わせてよりますと、細く1本になります。そうして、針を糸巻きの糸にわたらしてみますと、うまく継ぐことが出来ました。この方法で10年近くやってきましたが、針を落とすとか、針の重みで抜けてしまうことがあって、これも完全ではありません。
 そこで今度は、直接糸を針に通してみようと思いました。糸の先をなるべく唾で細くより、それを針の穴に見当でもってゆき、唇で引っ張ってみますと、運が良ければ1回で通ります。気持のおちつかないときは長くかかりますが大てい1、2分で通すことが出来ます。こうして、2人の普段着はなんとか間に合わせています。 全く諦めていた縫うことがわたしの手にもどってきたのです。うれしくて、うれしくて神さまに感謝しています。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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