わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第2章 失 明

 17 めしいとつんぼ            故 岸 野 ゆ き

 ある日、夫は畑から帰って来るなり、
 「おばァよ、花野菜の葉をこんなにようけ取って来たぞ」
 と、大きな籠を抱かせてくれた。
 「人の話しでは、お前の体には野菜の汁が大変良い言うんじゃが、青くさいかも知れんが試しに飲んでみるか。ミキサーでもあればよいのだが……」
 と、夫はつぶやきながら、四畳半にゴザを広げて、擂鉢を取り出し、花野菜の葉をいっぱい入れて、
 「擂鉢のヘリを押さえておれ」
 と言いながら、すりこぎで斯き搗きはじめた。すると、擂鉢の底の方で、何かガサガサ変な音がし出したので、
 「小石でもくっついているんじゃないの」
 と言ったが、耳の遠い夫にはその音が聞こえないらしく
 「浜から取って来たもんじゃなし、石なんかついているはずがない」
 「ひょっとしたら、カタツムリが葉の裏にくっついているのではないかしら」
 「お前は貝が好きだから、カタツムリであってもよかろうが……。カタツムリは何かの薬になるというじゃないか」
 と、私の言うことも聞かずに、搗くことを止めなかった。それでもやはり嫌な音は耳につくし、夫は言うことも聞いてくれず、私はヘリを押さえているのが嫌になり、プイと立ってラジオの前に来て坐った。
 すると夫は両足を投げ出して、擂鉢を足ではさんで1人ですっていたが、花野菜の汁が流れ出しだのに気づいたらしく、あわてて擂鉢を持ちあげ、
 「あーっ、しまった。紅猪口ぐらいの穴があいとる」
 と言った。そこで私は、
 「おっさん、あんたは紅猪口を知っているんかな」
 とたずねると、
 「うん、知っとる。おれは女きょうだいの中で育ったのだから……」
 と答えた。紅猪口というものは、今の若い人は知らないだろうが、私の子供の時にはお酒の猪口より少し形の違った、瀬戸物の小さい猪口に紅の素を入れていたものである。それに紅さし指の先をちょっぴり濡らしてまぜると、真に美しい紅ができ、それをよく唇にぬったものである。紅猪口のあいたのに水を1,2滴入れて、紅をとかし、さばき筆で頬紅をぬったりしたことなどを憶えている。
 「子供のころはからの紅猪口が沢山あってな、まま事のお茶碗やおさらにして、お茶碗には砂を盛り、お皿には海草を盛ってよく遊んだもんよ」
 と言うと、夫は、
 「おれも姉や妹と、紅指目に山桃や野イ千ゴを盛り、皿にはイタドリを入れてよく遊んだものだ」
 と、幼い頃の思い出を語り合って笑った。夫は思い出したように、
 「少し残っている汁を飲んでみるか。うまそうな汁が湯呑一杯とれたぞ」
 と、飲ませてくれた。青くさくもなく、思ったよりおいしかったが、飲んでしまったあとで、さっきの変な音を思い出して嫌な気もした。夫が洗ってきた儒鉢の穴を舌の先で探ってみると、やはり紅猪口ぐらいの穴があいていた。
 「よくまァ、こんなにきれいな穴があいたもんだネ」
 と笑っていたら、お隣りのご主人が、
 「なんと賑やかやナー。面白いことでもあるのかね」
 とのぞいた。夫は早合点をしたのか、
 「これ欲しいんか。良い植木鉢じゃ。山に行って手頃の松でも引いて来て植えれば、よい盆栽になるし、また蘇鉄の小さいのでも楯えると肥しは要らんし、釘のさびたのか縫針の折れたのを根元においとけば、立派に育つぜ」
と言ったので、ご主人は笑いながら小さな声で、
 「植木鉢にな、貰いに来たようにとられたかな?」
と言って、3人が大笑いをした。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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