わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第4章 生きる

 39 潮の香          島 田  茂

 降りつづいていた雨の湿りをふくんだ新緑の夕風に、船を降りてくる人々の健康な靴音が流れる。そのなかから奈良女子大点訳クラブの方々が、桟橋近くの墓標の松の下に立って出迎える私たちの方に近づいてくる。
 「みなさんお変りありませんか。またお邪魔にあがりましたのでよろしく」
 すぐそれと分る秋沢さんのなつかしい声である。
「ようこそ。奈良からの旅は大変だったでしょうね。お邪魔どころか首を長くしてみんなで待っていたんですよ」
 と、まるで旧友を迎えたようである。
 「ずいぶんうれしそうだね。立ち話はこれぐらいにしてお嬢さん方をさらってゆきますよ。つもる話は午後7時からの懇談会ですることにして……」
 と分館長の海老沼さんはいつものユーモアで笑わせながら、彼女たちを伴って行かれた。
 懇談会は自己紹介に始まる。私たちの場合、趣味、嗜好、出身地の他に身長、体重、それに容貌などが加えられるのが常で、それによって各人各様のスタイルやイメージを脳裏に描いて、くったくのない話題に花を咲かせるのである。毎日会務に追い廻されている会長の今井さんはハスキーな声で、
 「あのね、若い娘さんと話すのは三度の飯より好きです。今夜は最高だね」
 と言う。
 「そんなこと言ってたら奥さんに言ってあげるから、フフフ……」
 という声に、みんなどっと笑う。そんなところへ事務室の電話のベルが鳴った。いっしょに来るはずの藤本さんからの市外電話であった 急いで受話器をとった秋沢さんの声に一同の耳が集まる。
 「ああ藤本さん、ごめんなさいね。ずいぶん心配しながら大阪駅で待っていたのよ。走る汽車の中からプラットホームに立っているあなたの姿を見つけたんだけど、どうすることもできなかったの。本当にごめんなさい。私たち四人は予定通り島に来て、いま盲人会館で皆さんと懇談中なの。あなたのいないのが本当に残念よ」
 と、秋沢さんはさも残念そうに電話を切った、藤本さんはいっしょに来園される筈であったが、混雑する駅のホームにとり残されてしまったと聞かされ、スモッグに汚れた都会の一面をのぞいた思いで、秋沢さんの話にうなずく。初対面の野上さん、大石さん、安田さんは依然として言葉数が少ない。時計が8時を打ったので、明日の日程を打ち合せ、午前中は園内視察を兼ねて吉井寮周辺の散歩、午後は弁天島へ潮干狩に行くことになった。
「それにしても今年はずい分雨が多いのだから、明日の天気ぱ大丈夫かな」
 と、風邪声の磯野君。
 「きっと晴れさせてみせましょう、この心とこの体でね」
 と、優しい声にポリュームをきかせていう秋沢さん。
 「サアどうかな?あぶないぞ、会長は雨男やから」
 と言う私へ、
 「天丈夫、まかしといて。去年駿河療養所へ行ったときも台風模様だったのに、私たちが行った途端富士山が顔を見せる程の天候になったのよ。こう見えても日和女なのよ」
 秋沢さんのウイットなペースに巻きこまれて、笑いの渦で解散になった。明日の天候を祈る思いで夜空をふり仰いだが、そこには星影も月影も私の眼には映ろうはずはない。この習性を心の中で苦笑しながら、寝静まった重不自由者寮へ帰った。あすのプランを眼裏に描きながら、私は早くも夢のなかで貝掘りのスナップを天然色で見ていた。
 眼が覚めると、燕の囀りにまじって盲導鈴がさわやかな五月晴を告げるかのように流れている。朝食もそこそこに同室の磯野君と肩を組みハミングで盲人会館へ向う。会館の窓はすでに開け放たれていて、海よりの空気がすがすがしい。間もなく、
 「お早うございます。いいお天気でよかったわね」
全く疲れを感じさせない女子大生たちの声は透明だ。
 「女の一念岩をも通すのたとえ通り、秋沢さんの願いが天に通じたんだねえ。雨が尻尾を巻いて逃げちゃったなあ」
 そんな会話に香を添えて、机の上の鈴蘭が可隣だ。
 「まあ、可愛いい鈴蘭ですこと。鈴蘭は高原だけに咲く花と思ってたら瀬戸内にも咲くのね」
 と言うのを、愉快そうに聞きながら、私は優雅な花の香りの泉に唇を近づけ、
 「そうなんだよ。まぎれもない恋の花を療園で咲かせたんだよ、鈴蘭灯に似ているだろう」
 「あーら、鈴蘭灯が鈴蘭に似せて造っているんじゃないのー」
 たわいない会話のうちに点字図書室や、発足したばかりのテープ文庫を世話係が案内して廻ったあと、みんな揃って新緑の山へ散策に出かける楓若葉を吹いてくる風が汗ばんだ頬に心地よい。島の全景を一望にする雲井寮でひと息入れ、大島神社に登り境内の緑蔭で“ささやきの歌”などうたい、栗生盲人会の友情を秘めた白樺の記念樹を愛撫し、つづら折れの山道を馬の背へ手引かれる。昨年もこの断崖に立ったことのある秋沢さんは、1年をへだてた感慨をかみしめていつまでも動こうとしない。
 「岩の上に生えているあの松の木の下で、一日中何も考えずにボンヤリしていたいわ」
 という彼女は何を夢みているのであろう。海の上に広がる紺碧の空に天女の舞いでも幻想しているのだろうか。石のベンチに腰をおろしている私の背に初夏の日差しがいたい。子供のようにはしゃぎながら、腕を組んでもと来た道を引き返す。私たちの間にはもうすっかり緊張はほぐれ、デコボコの坂道をくだる足どりを軽くする。
 「松の根っこが出てけるから気をつけてね。ヨイショ、今度は石段よ、ハイもう一つ」
 私の腕をとってくれている長身の安川さんは、昨夜とは変る馴れなれしさで介肋してくれる。息がはずみ、よろけるたびに組んでいる腕にカが入る。平坦な療舎地区にさしかかった頃には、健康者と患者というへだたりは影をひそめ、盲目のコンプレックスも意識のそとにあった。私の口の中には梅林でちぎって頬ばった小さな青梅の実が二つ新鮮味をそそった。
 昼食をすませ、潮が引きはじめた西海岸へ出ると、第1便はすでに弁天島へ向けて出発していた。後便になった私たちは渚を歩くことにした。私の腕をとってくれたのはしとやかな感じの大石さん、つづくのは磯野君と秋沢さんのアベックのようだ。しめった砂が足裏にくだけ、さざ波にたわむれる音も解放感をそそる。大石さんの仕草や言葉のはしばしにはまだ少女らしさが感じられる。一体彼女は何を考え、どんな思いで私の腕をとってくれているのであろう。いまの彼女の胸のうちには何か去来しているのであろうか。私は初めて島に来た感想、点訳奉仕の動機、故郷を離れての学生生活など思いつくままにたずねた。
 「点訳を通して考えていた僕たちのイメージと、現実に見た感じとではどう?」
 と、聞いて反応を待つ。
 「そうねー、正直いって驚きはありました、初めての人は誰でもそうじやないかしら。でもこのことをよい意味での思い出にしたいし、来てよかったと思っています。たぶん他の人たちも同じじゃないかしら。それに先輩の方から皆さんのこと伺っていましたのよ。だから初めてのような気がしないの」
 予想していた躊躇のいろはみられず、近代的な感覚の言葉がかえってきた。自から作って閉じ籠って殼のなかから、不用意に吐いた言葉に私はむなしい自己嫌悪を感じた。多くの人が偏見をもつ療園にはるばるやってきて、肌で感じ、理解しようとする純心な乙女心を冒?してしまったのでぱないか。私の言葉の刺が黒い汚点となって残るのではなかろうか、と後悔したが、意外にもかげりのない彼女の態度に私は救われた思いがした。
 「島田さんはいつここに入られたの?失明は?」
 と問いかけてきながらも、絶えず足もとに気をくばり、水溜りや石ころのない場所を歩かせてくれる。
 「僕の19の春だよ。だから青春はなかったわけだ。入園した当時はよくこの渚を歩いたものだったね。あるときなど出てゆく大島丸を見ながらこの浜で母へ便りを書いたもんだ」
 「そーお、入園された頃は眼もよかったのね」
 「僕が見えなくなったのは4年ほど前だから、この辺の石ころ1つにも思い出があるんだよ。久しぶりで海辺を散歩することかできて、それもあなたのようなお嬢さんといっしょにね。いたずらな運命が与えてくれた幸せだね」
 と、遠い日の追憶が眼裏に甦る。九人兄弟の末っ子として甘やかされて育った私は、病葉のように病気ばかりしてきただけに、母への思慕は人一倍深く、その母と別れたのもこの浜につながるかなしみだ。白いハンカチを顔に押し当てて船室へかけこんでいった母の姿が脳裏でうずく。
 「アッ危ない。風景に見とれていて足もとがお留守になっていたわ。荒磯になったから気をつけてね、ハイ大きくまたいで…」
 と、よろめく体をぐっと支えてくれる。
 「この海岸は何んというの。松の縁も美しいし、それに空気がとってもおいしいわ」
 「そうだなあ、熱海の海岸といいたいが、無名の浜だよ、僕は望郷の浜と言っているんだ。共同生活から抜け出て、よくここで故郷を偲んだもんだった」
 「ごめんなさいね、哀しい思い出を呼びおこさせてしまって……」
 僅か数百メートル寮舎地区から離れただけなのに、まったくの静寂だ。
 「ア、お舟が帰ってきたわ。もう先に行った人たちは貝を掘っているわね」
 「残念だなあ、このまま天国までも歩きつづけようと思っていたのに……」
 と、冗談めかして言う。
 砂浜に着けられた舟に私たちに乗りこんだ。世話係の漕ぐ櫓が軋むたびに小舟は揺れ、黄色い悲鳴が湧く。珍らしそうに身をのり出して海底を覗きこんでいる彼女たちは、楽しさがいっぱいといった感じである。舟は弁天島の岩の間に着けられ、すべりそうな藻の生えた上を私たちは手引かれながら、先着のヤッちゃんや吉田さんたちのいる、波に浸蝕された崖下の岩に腰をおろす。手を出せば届きそうな砂浜で、女子大生や世話係たちが貝を掘り始める。海は初めてという安田さんは、
 「うち、貝知らへんの。ちょっと貝の見本みせてよ。どんなとこにかくれていやはるのー」
 と、快活な声をあげる。刻がたつにつれてバケツの貝も数を増し、弁天島の潮干狩りは最高潮だ。
 岩影に坐っている私たちも、久しぶりの行楽に流行歌など口ずさむ。隣りに坐っている吉田さんは、過ぎ去った乙女時代の感傷にふけっているのか、「すごくいい気持。アー、泳ぎたくなった」とつぶやく。眼が見えていた頃に泳いだコバルトブルーの海に魅惑されているのであろうか。またヤッちゃんは、空襲警報のなかで祖母とシジミ貝を掘った頃の思い出をなつかしそうに話す。会長の今井さんは会務を離れた気楽さで、貝掘りの音頭をとるのだと言って、お座敷小唄を磯の香に酔って唄い出す。あの声もこの声も島を抜け出した解放感にひたっているようだ。僅かの瀬をへだてただけなのに、まるで桃源郷にでも遊ぶような思いだ。沖をゆく船の汽笛が心をゆすり、鶸であろうか、美しい囀りが弁天島を夢心地につつむ。「おーい、喉が渇いたでぞ。お八つにせんか、みんな寄ってこいよ」誰かの声に、持ってきたお八つが開かれる。かいがいしく女子大生たちがジュースの栓を抜き、パンの袋を破って手渡してくれる。磯の香のなかで口にするパンの味はまた格別だ。しばらく休み、女子大生たらはまた磯に散ってゆく。今日の記念のためにと、貝を掘っているスナップ写真のシャッターを切る音がする。
 潮が満ちはじめたので弁天島を引きあげることにした。帰りの舟に揺られながらバケツの中の貝をかきませる彼女たちの声は満足そうだ。姫貝、浅蜊、ツブ等がバケツの中で触れ合う音を、生物の出会いの言葉として私は聞いた。
 その夜の懇談会は弁天島でのひとときがさわやかな清涼感となって華やいだ。毎年青麦の季節に島を訪れ、私たちの闇に灯をともしてくれる奈良女子大点訳クラブの方々、それを育ててくださったのは、退職されて今は東京に住んでおられる松沢先生である。その松沢先生に瀬戸内海の風物詩を添えて、一同で声の便りを行なった“目にこそ遠く見えぬとも、心に誓い愛の網”と、先生の作詞された“ささやきの歌”を合唱し、再会を約して散会することになった。外に出た彼女たちは、「空気が澄んでいるせいかしら、星がとってもきれいだわ。きっと明日もいいお天気よ」そんな若い声を見送り、寮に帰る私たちに盲導鈴は“乙女の祈り”を奏でる。行く手を照らす灯台の光のように……。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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