第2部 「灯台」の群像
第4章 生きる
41 わたしは杖 松 野 鏡 子
わたしの名は杖と申します。生れ故郷はうら山の雑木林です。曲って、ひねくれたものたちは、みんな切られて炭になり、おそらく今ごろは灰となって、地上に住んではいないでしよう。
それにひきくらべて、わたしはまっすぐに伸びたせいで、人間さまにほめられて、杖となりました。今の主人のところにきて、もう5年にもなります。まことに、しあわせものです。主人にあいされ、わたしが主人の手からはなれたら、たいへん、心配してくださいます。
わたしは、キセルの吸い口を靴のかわりにはいて、世をわたり歩く逆さの人生です。主人もまた、かなしい境遇に生きておられます。わたしは主人の不自由に同情し、主人がわたしをあいするように、わたしも主人を愛しております。わたしの役目は主人の道あんないで、まことに責任重大です。きょうもぶじに、わたしは、治療室やお風呂場へいってきました。きのうは、教会へいって、外で待っているあいだに雨がふり、ぬれネズミになってしまいました。しかし、辛いとはおもいませんでした。
主人には、わたしの知らない目があるのでしょうか。天国が見える、と申しております。「わが目は、はや、主の救いを見たり」(ルカ伝2章30節)。それで、神さまによくお祈りをしており、毎日イエス様とおはなしをしております。ですから、主人はぜんぜんメクラではありません。わたしには神さまは見えません。主人は、わたしよりも幸福です。カーン カーン カーン………鐘の音がきこえはじめました。教会の鐘です。主人のお供をして出かけることにいたします。
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