わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

目次 Top


第2部 「灯台」の群像

 第4章 生きる

 52 めぐりあい          岩 原 ふ み

 昨年8月カセットコーダーを頂きました。早くから使用してかおられる人も多く、文字を書くことのできない盲人にとって、また点字を打ったり、読んだりすることのできない手の不自由な私にとっては、語りかける言葉がそのまま録音され相手に伝えることのできる力セットコーダーは、本当に便利です。けれど機会の操作を他人にお願いしなければならない私にとっては、思うようには利用出来ないことがわかりました。
 熊本県にある恵楓園の友だちに声の便りをしたとき、普段のままで話しをする積りでといわれ、前もって考えていた事柄を順序よく話す積りでしたが、目に見えないマイクが気になって声が出なくなりました。「さあどうぞ、早く」と言われるとますます言葉かつまり、やっとの思いで挨拶だけを吹きこんだときには額から汗が流れておりました。再生をしてもらって、更に驚いたことは、自分の声がまるで別人のように感じたことです。操作して下さった方は「岩原さんの声そっくりよ、別に変ったところはないよ」と言ってくれましたが、自分の声というものにがっかりしました。折返し送られてきた松崎さん夫婦からの声の便りは、よどみなくすらすらと話されており、マイク馴れしているのか、話題が豊富なのか、同じ盲人でありながらただただ感心させられました。そして何より嬉しかったことは、松崎さん夫婦の肌に私の元気な様子が直かに伝わり、大変喜んでくれたことでした。
 数年前ご夫婦で青松園を訪ねてくれたときのことなど懐しく思い浮かべながら、これからも折々声の便りを交換したいと思っています。
 声の便りで印象に残っております方に、石田静枝さんがおります。今は結婚されて2児のお母さんになっておられ、お子さんである隆太ちゃん、文子ちゃんも、一緒に今年も年賀の声の便りを頂きました。少し病弱であった独身時代は、甘くうれいを含んだお声で、おじいちゃん、おばあちゃん、誰々さんと盲人会員1人1人に呼びかけて下さいました。誰かが私たちの様子を知らせていたようで、石田さんの声の便りを聞いて、私の知らないことまで知っておられるのに驚きました。また家庭のことや子供さんの様子など、こと細かに知らせて下さり、肉親以上で本当にありがたい気持でいっぱいになります。今年声の年賀は、隆太ちゃん、文子ちゃんの歌の独唱や合唱、そして詩の朗読などもあって今どきの子供はこんなことを勉強するからかしこくなるのだなあと感心しました。直接お便りを差し上げていませんが、石川さんのご家庭に幸多かれと陰ながら祈っております。
 声の便りとは別ですが、今1番身近に思う方があります。それは、安田さんといわれる宮崎県出身の大学生で、初めて来園されたのは、大阪の或る女子大学に合格されたときであり、その折不自由者センターの見学に来られたのでした。けれど昨年私を名差しで訪ねて来られ、学校のこと、郷里や両親のことなど打ちとけて話し合いました。孫ほどの年の娘さんが、おばあちゃん、おばあちゃんと親しんでくれることは、とても嬉しいことであります。いつも盲人会の機関誌「灯台」を読んで下さっておりますが、私の文章が載った87号を読んで、智子さんはどう思われるでしょうか。
 友園の松崎さん夫婦、広島の石田静枝さん、勉学に励んでおられる安田智子さん、それぞれ異なった立場の人達にめぐり合えた喜びをかみしめ、感謝の日日を過ごしております。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


Copyright ©2008 大島青松園盲人会, All Rights Reserved.