わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第5章 闇からの開放

 59 愛情に包まれて          山 口 歌 次

私の念願であった土佐中村への里帰りのことを、ケースワーカーの高橋さんにふと口にした事から、夢にまでみた帰省を叶えてもらうことができました。
 このことは、私のように不自由な老人が、連れて行って下さいと言えることではなかったが、私の気持を察して、いろいろ骨折りをして下さいました。これも中村市の遠近亀吾さん、ケースーワーカーの高橋さん、そして一條さんたちの並々ならぬお力添えがあってのことです。特に遠近さんは、私にとっては恩人ともいうべき方、盲人会とも長い間交わりがあります。高橋さんが私の気持をくんで下さり、遠近さんと手紙や電話で、里帰りについて何度も連絡し合って話を進めていったのです。遠近さんに宿泊所を見つけてもらいましたが、そこがまたありかたいことに、私が1番訪ねて行きたいと思っていた石見寺でありました。このお寺とは古くからの付き合いがあり、懐しいお寺が気持良く引き受けてくれたことは、全く願ったり叶ったりのことでした。私は亡き妻の法要を営み、身内の人とも会えるという喜びが一ぱいで、1月初めから毎日毎夜そのことを念じ、精一杯お経を上げておりました。
 しかし私が高齢のため、旅行に耐えられるかどうかということが大変心配されて、最初医局の先生の診察を受けたところが、この調子なら大丈夫とのことでした。そして日程も3月1日と決り、庵治町のタクシーとも契約しました。それまでは風邪もひかれん、胃もこわされん、我が身を大切にし注意して、どうしても帰省したい、その思いばかりの毎日でした。
 このように準備万端ととのえているところへ、2月の半ばを過ぎた頃、大西園長先生から待ったがかかった様子です。この間のくわしいことは知らなかったけれど、一條さんがとても心配して、高橋さんに相談したようです。毎日の忙しい仕事の中で、一條さんは私のために、服よ、帽子よ、下着よ、おみやげよ、と買いととのえてくれました。責任者としての高橋さんは、このためかなり困ったらしいのですが、園長先生と交渉の末、やっと許可をもらったようです。これは私が高齢者であり、又きびしい寒さの時期に旅行して万一のことがあってはいけないとの事情だったようです。このように出発まで思いがけないいろいろのことが持ち上りましたが、やっと3月1日の朝、無事に高松行きに乗船することができました。
 高松桟橋には約束のタクシーが、待っておりました。上天気の落着いた車中で冗談を言い合っているうちに、昼頃には高知県に入り、途中、ドライブインに1度寄ったきりで、4時すぎ、やっと中村に到着しました。私は助けてもらって車から降りると、石見寺には、もうすでに遠近さんや身内の者が私を待っておりました。その中には思いがけない姪の声や、聞き覚えのある声々もありました。そうした人たちに囲まれながら、旅のつかれを覚える問もなく本堂に案内され、二人のお坊さんが唱える読経のうちに焼香をし、しめやかに妻の法事は無事に終りました。大役を果してほっとしていると、弟、義理の姉、姪たち、遠近さん、お坊さん、タクシーの運転手もみんな集まり、皿鉢料理を囲んで、昔話に花が咲きました。身内の人から村の移り変わりや、知人の家のさまざまな出来事を聞かされ、びっくりすることばかりでした。古い知人の消息を確かめたり、昔とはまるで達う現在の療養所の生活を話すと、うれし涙にくれる身内の者をみて、連れて帰ってもらったことを本当によかったとしみじみ思いました。夜の10時頃にはみんな帰って、寺は静かになりました。
 今年の日本列島は異常な大寒波で、ふるえあがる日が続いていたのですが、この日の中村市は大変暖かく、私はぐっすりやすむことが出来ました。翌日は雨になったため、私は懐かしい想い出の場所を訪ねる予定でしたが、急に変更して大島に帰る事にしました。それを聞いて遠近さんがわざわざ見送りに寺まで来で下さり、何ともありかたい思いでした。
 私の里帰り旅行は、このようなトンボ返りの慌しいものになりましたが、元気に帰って来た大島は、かなりの強い雨でした。
 その後退いかけるように来た遠近さんの便りによると、私が中村から帰るのを待っていたように、75年振りの大雪となり、学校も休校、みかんも落ちるほどのひどい寒波が襲ったとのことです。それを聞きながら何も彼も恵まれたことは、神仏のお蔭だと心から合掌しました。特に遠近さんには肉親も及ばぬお世話を頂き、お礼の申し上げようもありません。 また私の周りの方々の優しい思いやりがなければ、こんなに順調な旅行はできなかったと思います。本当に幸せ者だと皆様の愛情に包まれて、私は新たに生甲斐を覚えながら今日も生かされております。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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