わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第5章 闇からの開放

 61 花いんげん          石 本 暢 子

 朝目をさますと、北西の風がはげしく廊下のガラス戸をゆすぶっていた。きようは3月23日、わたしの誕生日で、朝食の膳にはそれを祝って花いんげんの甘煮が一品添えられている。この花いんげんは、夫の旧友から毎年送っていただいているものでこちらでは珍しく、いつも一回煮るほど残して、親しい人におすそ分けをしている。その豆を今年はわたしの誕生日のために、夫が前の日一日がかりで煮ふくめてくれたのである。
  「いただきまーす。とっても、おいしい!」
 甘く、やわらかい豆の昧が、咽喉をとおる。変らない友情と、夫の精一杯の心づくしで、いつもより食卓が豊かに感じられた。
 食事のあと、ラジオを聴いてから治療に出かけた。化学療法科、耳鼻科、眼科、機能訓練室と各科の治療を済まして帰ると、11時頃になっていた。
 午後1時半から、キリスト教会において、高松より末長牧師を迎えての特別集会が開かれるので、夫と共に出かけた。きょうは、受難週の洗足木曜日なので、末長牧師はヨハネの福音書第13章から説教をして下さった。1時間余りで特別集会は終わり、玄関に出た。靴が思うようにはけず、ぐずぐずしていると、先に出た芥さんが、右の足を出して、と言いながらはかして下さる。出来ることは時間をかけてでも自分でしよう、と思いながら、つい優しい言葉にあまえてしまう。夫を待って、玄関の横に立っていると、さっきの説教の中の聖句がうかんでくる。
  「主が弟子たちの足をお洗いになったとき、弟子のひとりペテロが、『主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか』と言うと、主は、『もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる』。また、『わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう』」。
 というみ言葉が、頭の中をいったりきたりする。三吉さんに、帰りましょう、と誘われ、手を引かれて教会の坂をくだる。
 寮に帰ると、隣りの秦さんが、
  「10分位前、化学療法科から診察の呼出しがあったよ」
 と教えて下さった。早速行ってみると、5、6人の方が待っていた。わたしはいちばん最後で、大島先生の診察を受け、薬局で薬をもらって帰ってくると、4時をとっくに過ぎていた。
  「大島先生に診ていただいたのよ。そしたら、本病は変りないけど、心臓がちょっと悪いといって、お薬が出たのよ、これ」
 と言って、夫に渡すと、夫は、
  「これは名前が違うじゃないか」
 と言います。わたしは、
  「あら、どうしたのかしら? 薬局の窓口から、『石本さん、おくすりですよ』と、ちゃんと手に握らせてもらって、帰ったのに……」
 と、不思議でならない。あとでわざわざ夫に薬を取りに行ってもらうのも気の毒と思い、持ち帰ったのが人の薬でがっかりしてしまった。聞きに行ってもらうと、薬局で名前の書き違いであったことがわかった。
 わたしが診察を受けに行っている留守に、弟からの言づけで、風呂にでもはいり、5時ごろ夕食を食ぺに来るように……とのことであった。治療室で冷えたので、風呂であたたまりたいと思ったが、時間がないので、3日に一度しかないお風呂をあきらめ、炬燵であたたまり、5時をうつのを待って、煮豆を持ってわたしたちは出かけた。
  「こんばんわ」
 と、ガラス戸をあけると、いい匂いがする。狭い部屋なので部屋中ぷんぷんしている。お寿司だナ、と思う。
  「これ……」
 と言って、侍って来た煮豆を渡すと義妹の由ちゃんは、
  「わあ
 と、大きな声を出すので、
  「由ちゃん、どうしたの? ひっくりかえしたの?」
 と聞くと、笑いながら由ちゃんは、
  「おととい行ったとき、ご馳走のことをよっぽど言おうかと思ったけど、黙って帰ったのよ。言っておけば良かった。そしたら煮豆も二重にならずに済んだのにねー」
 と言った。そろってお膳の前にすわった。
  「ねえさん、誕生日おめでとう」
  「はい、ありがとう」
 と言いながら、目頭が無くなるのを覚える。
  「きょうは、ねえさんの好きなお寿司と、餡蜜をつくったのよ。きのうまで5月ごろのあたたかさだったのでつくったのに、こんなに寒くなって、冷たいものばかりだけど、どうぞ」
  「いただきます。あんたたち、わたしの誕生日をおぼえていてくれたのね」
  「きょうはお前のご馳走じゃ、しっかりよばれたらええわ。わしはお相伴じゃ」
 と、夫が言えば、弟も言います。
  「めしはおれがたいたんで、上手じゃろう」
  「ふーん、ご飯も味つけもよく出来とるよ。とってもおいしいよ」
 二人で作業のあいだをみては、からいとか甘いとか言いながら、つくってくれたのであろう。
  「ねえさん、豆食べる?」
  「折角やもの、よばれるわ。あんたたちはうちのを食べてごらん。とっても、おいしいんよ」
 と、わたしが売りこむと、夫は言います。
  「両方から豆で祝ってもらったのだから、お前もマメになるぞ」
  「ほんと。これで神経痛も心臓もびっくりして、治るかも知れないね」
 と冗談を言いながら、みんなにあたたかく囲まれ、楽しい夕食であった。
 いとまを告げて外に出ると、おお寒い、と言う夫に、寒いね、とは言ったが、少々興奮しているわたしには、冷たい風もかえって気持よいぐらいに思えた。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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