わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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盲 人 会 年 表         

明治42年(1909)

4・1 らい予防法施行。中国、四国八県連合立第四区療養所開所。入所者120名。

明治43年(1910)

10・1 第四区療養所を大島療養所と改名

昭和6年(1931)

116 職員に対する不満が高まり、会堂のラジオ破壊事件発生。患者大会に突入。小林所長に全入所者の愛生園転園を迫る。

22 香川県清水衛生課長来所。実行委員会と会見、17項目の医療と生活改善を陳述。

31 約40名の警官にとり囲まれ、再度衛生課長と団交、要求の解決を一任して一応妥結。これを機に自治会結成の機運高まる。

3・8 患者自治会結成

昭和7年(1932)会創立

5・27 盲人相互の親睦、修養並びに各種の協議を行なう目的を以て会を設立し「杖の友会」と命名。

会員数 65名

会長 山形豊、副会長 植出土生 顧問 大塚一

規約 全文18条

後援 相愛青年団

9・30 役員任期半年制に伴ない改選を行う。

昭和8年(1933)

1・10 貞明皇后様御歌ご下賜

    つれづれの友となりても慰めよ

     行くことかたきわれにかはりて

3・12 玉藻婦人会発足。青年団と共に後援団体となる。

3・17 小林和三郎所長逝去。在職22年。

4・20 野島泰治医長犬島療善所所長となる。

5・27 会創立一周年記念の祝賀茶話会を開き、席上にて、短歌、俳句、独々逸の入選作を発表。

昭和9年(1934)

5・29 会創立2周年、開所25周年を記念して、台詞劇「甕刻柴田」及び「地震」を会堂において上演。

9・21 室戸台風襲来。大阪の外島保養院壊滅(患者、職員合せて死者176名)

9・29 外島保養院の罹災依託患者盲人不自由者を含む70名を大島に受入れる。

昭和10年(1935)

4・10 定期役員改選を行ない、外島保養院盲人代表として安浪友次郎氏を推選。

昭和11年(1936)

5・18 台詞劇「三島の仇討」「五兵衛」を会堂において上演。

1023 所内ラジオ放送開始。各寮にスピーカー設置。

昭和12年(1937)

5・27 会創立5周年記念式を会堂において挙行。会長挨拶、自治会総代、主事(庶務課長)、青年団長祝辞、行事、台詞劇、ものはづけ。

6・5 不自由者寮大掃除の避難を兼ね、会堂において総会を開催、

7・7 蘆溝橋事件勃発。

昭和13年(1938)

1・27 出征中の宗内医師、松原看護助手に慰問の短歌、俳句を送る。

4・19 外島病友の送別に放送劇「息子の手紙」、「本朝二十四孝」を上演。

  27 外島保養院にかわる邑久光明院が岡山県長島に設立。

5・13 初代会長山形豊逝去。

6・9 外島保養院依託病友61名を邑久光明園に送る。

8・25 四国水力電気海底ケーブル敷設により自家発電廃止。

昭和14年(1939)

5・30 会員の日常生活についてアンケート調査を行ない、治療室における苦情、道路の補修他3項目の要望書を自治会に提出。

11・1 大島神社建立の勤労奉仕にかえ、一人1銭を徴集。会より1円加えて献金。

  27 勤労奉仕慰安の夕べを催し、ハーモニカによる歌、阿呆陀羅経、ラジオドラマ「峠の茶屋」他を放送。

昭和15年(1940)

5・19 生活必需品が配給制となり、医薬品、纏帯等も欠乏、野島所長陳情に上京。

昭和16年(1941)

3・29 紀元2600年を記念して、榊2本を大島神社に植樹。

4・1 国立移管に当り、所長の通告によって患者自治会を「協和会」と改名。

7・1 国立移管記念式が行なわれ、大島青松園と改名。

1011 警防団、青年団、婦人会による連合奉社団が結成される。

12・8 日本軍真珠湾攻撃。大東亜戦争に突入。

昭和17年(1942)

5・8 幹部会の決定により、病棟入室会員に見舞金を贈る。6・11 会創立10周年記念式を夜伽室において挙行。特別功労者4名、創立当時の会員11名に記念品を贈る。会員数70名。

昭和18年(1943)

2・4 会創立十周年記念事業として桐の木25本を園内に植樹

3・31 医薬品、食糧晶の欠乏により、17年度の失明者19名、死亡者21名にのぼる。

6・25 青年団幹部によりムロの本の杖42本が寄贈される。

1129 青山先生の出征に引続き大島先生も応召、医師不足となる。

昭和19年(1944)

3・30 会より5円の国防献金を行なう。

4・1 「杖の友会」が協和会指定団体より各種団体に移される

昭和20年(1945)

1・31 チリ紙代用として古雑誌が会員に支給される。

4・1 戦争の苛烈により、正副会長2名のみの臨時便法をとる。

5・1 連合奉社団に感謝の寄附合をおくる。

7・4 高松市が空襲を受け、医師、看護婦による救護班出動。

8・6 広島に原子爆弾が投下される。

15 戦争終結の玉音が放送される。

1030顧問大塚一逝去。

1220 自治会より会員一人200匁の甘藷が慰安配給される。

昭和21年(1946)

4・9 マッカーサー指令により大島神社が撤去される。

28 DDT撒布によって、悩まされてきた蚤、南京虫が駆除される。

1011 連合奉社団の演芸会に花代をおくる。

昭和22年(1947)

4・20 公職選挙権が入園者にも認められ参議院議員選挙に初めて役票。

6・16 指定寄附金により、会員一人200匁の馬鈴薯を配分。

昭和23年(1948)

4・1 臨時便法を解き、役員選挙を行なう。会長藤田粂市、副会長辻良一、幹事7名。

6・23 来日中のヘレンケラー女史にメッセージをおくる。

11・1 新薬プロミンの治療が始まる。

3 放送劇額田六福作「秋晴れ」を上演

昭和24年(1949)

1014 28万円盗難事件以米、特別警戒に当る自治会役員、青年団に慰労金を贈る。

昭和25年(1950)

3・13 天皇陛下の四国巡幸御召船を西海岸に奉迎。

4・10 今期に限り幹事選挙は各棟毎に1名を選出(10名)。

昭和26年(1950)

5・17 貞明皇后御逝去。全員で哀悼申しあげる。

28 総会の席において文芸発表。二十の扉などを行なう。

6・20 全国ハンセン病療養所患者協議会(全患協)に自治会が加入。

昭和27年(1952)

6・25 貞明皇后の遺徳を継承して財団法人「藤楯協会」が設立される。

7・30 後援会の都合で延期されていた会創立20周年記念式を挙行。

    行事、福引大会他、会員数62名。

9・10 会員藤田薫水苦惨句集「杖」発刊。

昭和28年(1953)

4・7 林文雄記念図書館においてレコードコンサートを行なう。

6・19 らい予防法改悪反対行動の付添作業放棄に、会員の意見をまとめ、自治会に賛意を表明。

7・1 らい予防法改悪阻止の最後の手段としてハンストに突入。正副会長も加わる。

8・12 全患協上げてのらい予防法改悪反対闘争によって、参議院で9項目の附帯決議を獲得。闘争を終る。

1025 総会において規約改正を行ない、顧開制を廃止。

昭和29年(1954)

3・1 後援会の青年団、婦人会が解散。作業制による盲人世話係2名がおかれる。

3・18 意見聴取に基き、機関誌発行、点字の講習、親睦会他8項目の事業計画をたてる。

28 入室中の会長藤田粂市逝去。

5・11 職員の指導によって点字講習会を始める。受講者7名。

6・7 晴眼者に理解を求めるため機関誌「灯台」を発行。65部。

11 盲人デーの集いにおいて、テープレコーダーに初めて会員の声を収録。

8・2 第一病棟新設。看護婦の三交替制による完全看護が実施される。

9・26 待望のホームラジオが重不自由者寮に備えられる。

10・5 長島盲人会「青い鳥楽団」の演奏会が会堂において催される。

11 藤楯協会の補助金によってチンチン式電気盲導鈴、7基が設置される。

昭和30年(1955)

3・1 点字習得者による点字グループ結成。

5・1 全国11園盲人会によって、全国ハンセン病盲人連合協議会(全盲連)を結成。初代本部邑久盲人会。

23 邑久本部において瀬戸内三支部代表が今後の全盲連運動について懇談。

7・15 点字による暑中見舞状を各方面に発送。

10・1 会の発展に伴ない、縫工所の6畳1室を事務室として使用が認められる。

1115 香川県視覚障害者協会(県視協)に準支部として加入。

昭和31年(1956)

3・1 全盲連ニュース第二号を各関係者に送付。

4・23 総会において決定の会費1人月額5円を徴集。

28 ハーモニカの寄贈によってハーモニカバンド「オリーブ」を結成。

5・22 全盲連各支部の名称統一に伴ない「杖の友会」を「盲人会」と改名

6・17 民謡愛好者によって「民謡グループ」を結成。

21 日赤高松支部より点字書70冊及び書棚が寄贈される。

7・2 全盲連本部邑久支部より長島支部に移管。

  17 文芸サークルとして「灯台川柳」誕生。

  29 自治会より点字タイプライター1台が購入される。

8・2 不自由者慰安金増額についての請願書を厚生省及び大蔵省に提出。

9・30 県視協の靭会長外幹部が来園。第9回日盲大会の報告を受ける。

10・3 邑久盲人会「クローバー楽団」の演奏会が会堂において催される。

11・2 文化祭行事として、民謡、ハーモ二力演奏を園内放送。

14 県視協の点字競技会に参加、競技用紙を送る。

昭和32年(1957)

1・17 全盲連本部の呼びかけによって北海道冷害地にカンパを贈る。

2・22 野島園長に盲人会館建設を施設整備計画にとり入れてもらうための要請書を提出。

3・16 世話係1名の増員が認められ、3名となる。

5・19 全盲連本部の三好事務局長、深田局員が来園。盲人会館建設、三園盲人協議会開催等について懇談。

27 来賓多数を迎え縫工所において会創立25周年記念式を挙行。

行事・座談会、民謡オリーブバンドによる歌と演奏。会員数68名。

31 川柳グループ員によって「ふあうすと」誌への投稿を始める。

6・24 衆議院議員選挙を点字によって11名が投票。

8・1 病棟入室会員の要望を聞くため、役員による訪問を定期的に実施。

  6 全盲連の運動によって、厚生省よりテープレコーダー東通工503型1台が各支部に支給される。

  8 全盲連を通じて諌早市の水害罹災者に義援金を贈る。

昭和33年(1958)

1・29 盲人会館建設について野島園長、河野牧師、自治会をまじえて打合せを行なう。

3・29 盲人文化の時間を設け、放送室より全盲連ニュース、機関誌などが朗読される。

4・7 自治会に要望していた折りたたみ式白杖17本が購入される。

26 死刑を宣告されたハンセン病者、「藤本松夫氏を救う会」に盲人会も加入。

6・13 自治会において「灯合」の活版印刷、園内文芸の点字投稿、個人ラジオの電気料 金免除が認められる。

7・11 第一回瀬戸内三園盲人協議会が長島盲人会担当で開催。日程1泊2日、代表4名付添1名。

    協議内容、ブロック協議会の継続三園もち廻りによる点字競技会、他。

13 盲人会館建設に協力頂いた花園大学木本勝山先生一行が来園。会堂において箏曲の慰問を受ける。

7・25 高松刑務所畠山点訳グループと、川柳、点字グループの交流が始まる。

8・8 異常旱魃のため各寮に飲料水が配達される。

  23 恩賜記念会館を解体、盲人会館として更新することに決定。

9・1 週三回の読書会でマーガレット・ミッチェル著「風と共に去りぬ」を朗読。

  2 「灯台」十八号の活版印刷を記念して、関係者を招き批評会を行なう。

  17 瀬戸内三園もち廻りによる点字競技会を邑久盲人会担当で実施。

26 障害福祉年金の適用を求める請願書を、厚生大臣外関係省庁に提出。

11・5 障害福祉年金獲得の投書活動を点字はがきによって集中的に行なう。

1210 盲人会専用の構内電話を設置。

昭和34年(1959)

1・13 全患協事務局長より、療養所人所者にも福祉年金が適用される旨の情報を受ける。

3・5 「乙女の祈り」のオルゴール式盲導鈴を4ヵ所に新設。

10 全盲連本部長島支部より栗生支部に移管。

16 盲人会館建設基金として河野道著詩集「雑草のような母」、板口富美子著歌集「地の上の花」を販売、寄贈される。

4・1 盲人会館管理のため世話係1名増員、4名となる。

6・2 眼科より盲人用保護眼鏡が希望者に貸与される。

7・7 会則の改正を臨時総会において決定。

主な改正点、副会長2名制、役員の休養規定他。

11 第三国人盲人にも福祉年金に代る特別措置の請願書を関係者に提出。

28 日本点字図書館(日点)より厚生省委託の「声の文芸春秋」が送られてくる。

8・20 盲人会館落成祝賀記念式を園長、自治分外関係者を迎えて盛大に挙行。

園より河野進牧師、松下工務店に感謝状を贈呈。

1013 高松盲学校生徒来園。グランドにおいて盲人野球を披露。

16 盲人会館落成祝賀演奏会を大島会館において催す。

11・2 神戸市立盲学校生徒作の母子像、「目がほしい」が寄贈される。

  9 国民年金法が。施行される。

10 開園五十周年記念式典が行なわれる。

昭和35年(1960)

3・1 役員の任期半年制となる。

6・13 待望の障害福祉年金が支給される。

26 高松の「さくらんぼ川柳会」一行が来園、句会を行なう。

8・5 不自由者看護職員切符について野島園長外関係者と懇談。

20 盲人会歌制定。

作詩・早瀬正一、作曲・高松盲学校教諭赤尾定信。

19 点字普及70周年記念事業の寄金を日本盲人会連合(日盲連)に送金。

11・1 全盲連本部栗生支部より多摩支部に移管。

昭和36年(1961)

1・11 日点より石坂洋次郎著「若い人」他33冊の点字図書が寄贈される。

3・15 不自由者看護職員切替促進委員会を設置。具体的検討に入る。

4・19 春の山遊びを野村総婦長、看護婦の誘導によって行う。

5・24 オリーブハンドによる歌と演奏の夕べを大島会館において催す。

7・12 看護切替促進の要請書、陳情はがきを各関係者に発送。

  18 臨時総会において不自由者、看護職員化に関する基本的態度を決定。

  30 奈良女子大点訳クラブの松沢誠一先生外部員4名が来園。交流がはじまる。

  1013 東京光明寮松井新二郎様の尽力によって、点字の短歌、俳句集、川柳句集が出版される

昭和37年(1962)

2・7 「灯台」32号をテープに収録友園盲人会に廻覧。

24 「盲人用録音物等発受施設指定」の認可を受ける。

5・8 看護切替要員として看護助手5名が示達される。

27 会創立30周年記念式に園、自治会関係者を迎えて挙行。

    行事・民謡オリーブバンド演奏会、福引他、会員数81名。

10・1 独身特別重不自由者寮2棟が暫定的職員看護に切替わる。

1215 創立30周年記念事業として点字図書室増設の運動を起す。

16 夫婦重不自由者寮1棟が暫定的職員看護に切替わる。

昭和38年(1963)

1・5 新年の行事として冠句、ものはづけ、川柳の運座会を行う。

  16 自治会の看護切替案12畳1室4名に反対、3名の定員化を要求。

3・5 厚生省療養所課長に点字書、テープ図書等の予算措置を求める要請書を提出。

4・11 会員の福祉向上を図るため生活改善研究委員会(生研)を設置。

5・1 全盲連本部多磨支部より菊池支部に移管。

  9 第2回瀬戸内三園盲人協議会を大島担当で開催。

    討議内容…職員看護切替促進、直接陳情実施問題他。

6・12 職員看護切替後の入浴介助及び回数、外科処置等について友園盲人会にアンケート調査を行う。

  25 「救らいの日」が「らいを正しく理解する日」に改められる。

8・10 大阪の学生奉仕グループ「いもづる会」と盲人会館において懇談。

9・13 総婦長、看護助手18名を招き、看護業務について要請。

1014 点字図書室設立委員会を設置。設計図等について検討。

19 短歌、俳句の「羽実グループ」誕生。

11・2 点字図書室建設基金の1部を会員より換金。

1227 点字による年賀状248通を各方面に発信。

昭和39年(1964)

1・9 徳島医大の三木医師によって会員3名が待望の開眼手術を受ける。

17 独身重不自由者寮2棟が職員看護に切替わる。

5・7 通院車によって島内ドライブを実施。

  14 大島において開催の第9回全患協支部長会議を会員多数で傍聴。

16 全患協支部長会議出席代表を迎えて、職員看護完全実施の直接陳情を要請。

6・3 臨時総会を開催。不自由者看護職員切替完全実施の全患協中央行動に、支援の態勢をかためる。

  5 四国地方医務局山川次長、野島園長に、看護切替完全実施を自治会と共に要求。
    第一次実力行使として付添看護作業3分の1が放棄される。

6・7 「不自由者会」結成。盲人会と共闘を組む。

  8 午前8時事務本館に坐り込みを決行。園長に職員看護完全実施の通告文を渡し、上京を迫る。

     第二次附添看護作業3分の2が放棄される。

9 大臣折衝の結果、職員看護完全実施確約の入電あり、闘争態勢を解く。

7・11 説書用としてテープレコーダー1台を順番制により貸出す。

13 新潟地震の盲人罹災者に日盲連を通じて義援金を贈る。

8・7 日本MTL(現JLM)杉山事務局長外2名が来園。点字図書室建設資金が伝達される。

12・3 大島会館において患者大会開催。職員看護完全実施、施設整備等について北島会長が賛成討論に立つ。

18 点字図書室落皮衣を関係者多数迎えて挙行。

日本MTL杉山事務局長、河野牧師、真田静枝様、長尾工務店に園より感謝状を贈呈。

行事…民謡・オリーブバンド演奏会、点字競技会等。

1230 広島の真田静枝様を迎えて点字図書室建設の協力を謝す。

昭和40年(1965)

3・5 東京ヘレン・ケラー協会の呼びかけにより、日盲会館建設寄金を送る。

  30 海底送水管敷設工事完成。通水式が行なわれる。

5・12 ネパールの子供を結核から救うための古切手の蒐集を始める。

6・18 園内に自動車事故が発生。園長及び自治会に安全運転の要請書を提出。

7・1 大島丸で玉野方面に船遊びを実施。

8・2 神戸学生キリスト者連盟のワークで盲人会館より眉山亭までの道が作られる。

9・10 台風23号が襲来。盲人会館も屋根瓦、壁などに被害甚大。

1031 夫婦重不自由者寮。一棟が絞いて職員看護に切替わる。 

1119 邑久、長島における職員看護及び整備状況の見学団に、正副会長も同行。

昭和41年(1966)

1・11 世話係の作業賃増額のため、資料を添えて自治会に要請。 

  25 第5回療養生活研究委員会全国大会が大島において開催。栗生代表沢田丘郎氏が記念に白樺の苗木を持参される。

3・19 不自由者会が解散される。

4・1 役員の任期一ヵ年制となる。

  2 日点より点字図書「怒りの葡萄」11冊が寄贈される。

5・5 全盲連本部菊池支部より長島支部に移管。

6・8 県視協福祉センター建設に寄金をおくる。

8・9 奈良壷阪寺常盤住職外3名を迎えて懇談。里帰りの道が開かれる

8・22 野島園長外幹部職員との施設交渉に正副会長が参加。職員看護完全実施、盲人教養文化費の予算化他を要請。       

  23 機関誌「灯台」50号を記念特集号として発行。

9・16 全盲連の厚生省直接陳情が自治会で承認される。

10・1 来園の加貪井療養所課長に盲人教養文化費、盲導施設整備費の予算化を陳情。

  5 拠出制障害年金移行運動を起す。

  7 全患協中央交渉団に、全盲連堀川事務局長、免田局員が同行。初めて厚生省陳情を実施。

1115 会員萩原澄著歌集「蓑虫」発刊。

12・5 テープ図書活用に備えてテープ文庫を開設。

19 全盲連直接陳情の結果、10年ぶりにテープレコーダー一台が更新される。

   20 ハンセン病盲人の生活状況を有線放送するため、香川県立谷本図書館長が収録に来園。

昭和42年(1967)

3・22 拠出制障古年舎弟一次認定者発表会員該当者2名。

5・1 夫婦重不自由者寮2棟が新築。第2センターとして発足。

  4 来園の奈良女子大点訳クラブ員と弁天島で潮干狩を楽しむ。

  27 会創立35周年記念式を挙行。

    行事…親睦会、運座会外。会員数80名。

6・26 奈良壺阪寺常盤住職の招待による里帰りを初めて実施。

    日程2泊3日。参加者会員7名、付添7名、職員4名。

9・28 全盲連堀川事務局長、田端局員が来園。盲人教養文化費及び藤楓協会にテープライブラリー設置運動の経過等について報告を受ける。

3 第一回瀬戸内三園盲人親善交歓会を大島において実施。

日程1泊2日。参加者1支部7名うち付添2名。

   13 厚生省、社会保険庁、障害年金審議会に拠出制障害年金適用の請願書を提出。点字はがきによる陳情も併せて行なう。

1014 念願の盲人教養文化費(散文費)が予算化される。示達額43万7千円。

  16 県視協文化祭行事の文芸募集に応募。

12・9 盲導索施設整備の特別予算が示達される。

21 教文費によるFM付トランジスターラジオ初年度分51台が貸与される。

昭和43年(1968)

1・10 43年度予算復活折衝においで教文費の継続が認められる。

2・15 開園以来の大雪で電灯、電話線、樹木等に被害。

3・19 教文費によるFM付トランジスターラジオ次年度分49台が貸与される。

4・27 大阪の日本ライトハウスより点字図書87冊が寄贈される。

5・2 盲人会館、治療棟周辺に盲尋常を設置。

8 新造船「せいしよう」で坂出番ノ州方面に船遊びを実施。

25 省内操作で視力障害一級者に月額百円の盲人手当が支給される。

7・20 全盲連重点項目の教文費継続、盲導施設整備費予算化他3件の陳情書を地元代議士、ハンセン病議員懇談会に発送。

9・5 年金法改正に当って、有沢審議会会長外関係者にハンセン病盲人の実情を訴える要請書を提出。

1012 全患協事務局長がオルグに来園。年金適用の拡大、看護婦、看護肋手の増員など当面する諸問題について懇談。

11・7 大谷療養所課長補佐、医療係長、四国地方医務局関係者が来園。教文費の継続、盲導施設整備費予算化等について陳情。

11 奈良壺阪寺里帰り一行17名が出発。

昭和44年(1969)

1・16 44年度予算復活折衝において盲導施設整備費が認められる。

2・1 役員の任期交替が2月となる。

4・1 全盲連本部長島支部より栗生支部に移管。

     野島泰治園長退官。名誉園長となる(在職36年)。

2 大西基四夫園長奄美和光園より着任。

9 第6回瀬戸内三園盲人協議会を大島担当で開催。

    討議内容…大会基準の統一、全盲連既決重点項目の運動強化ほか

5・4 大阪日赤青年奉仕団一行が来園。朗読奉仕などについて懇談。

  20 日点の本間館長外2名が来園。ハンセン病盲人にもテープ図書の貸出しなどについて要請。

  26 大型バス「やしま号」によって会員のバスレクリェーションを実施。コース、五色台、根香寺、白峰寺。

6・5 奈良法華寺の久我門跡を会員多数で迎える。

9・9 毎年行なってきた瀬戸内三園点字競技会が本年を持って廃止となる。

10・2 百井結核予防課長に私立病院ハンセン病盲人にも、教文費の予算化を要請。

  25 盲導鈴費として40万6000円が示達される。

11・3 野島名誉園長に勲二等旭日重光章が贈られる。

昭和45年(1970)

1・20 大型のテープ図書ケースを購入。各種別に分類して納める。

3・3 宇治市の曽根病院において野島泰治名誉園長が逝去される。

  30 故野島名誉園長の園葬がとり行われる。

    従三位勲二等に叙せられる。

4・20 藤楓協会にハンセン病盲人のためのテープライブラリーが開設される。

5・12 バスリクリエーションを実施。コース丸亀城。

6・4 らい調査会各委員に提出制障害年金適用拡大の要請書を提出。

6・28 県視協海面高松支部長が「さくらんぼ川柳会」一行と来園。

7・7 大島会館において予算要求決起大会開催。今井会長が百人の当面する諸問題について訴える。

8・6 「らい調査会の答申」に療養慰安金等の既得権復活を要求して、事務本館に坐りこみを決行。

9・16 会員該当者全員に提出制障害年金が適用される。

  22 44年度の不自由調査において会員39名が原点。大西園長に質問状を提出

10・1 第4回瀬戸内三園盲人親善交歓会を大島において実施

  3 身体障害者諸費によって保護眼鏡が支給される。

  10 藤楓協会テープライブラリー制作のテープ図書が各支部に寄贈となる。

1117 奈良壺坂寺里帰り一行17名が出発。

1224 夫婦重、中不自由者寮第3センター開設。職員看護に切替わる。

昭和46年(1971)

3・20 機関詰「灯台」が朝日新聞香川版に写真入りで紹介される。

6・1 園内の作業規定が変更され、盲人世話係の勤務も半日制となる。

  10 バスレクリエーションを実施。コース田村神社、仏生山公園。

7・5 トランジスターラジオ更新の点字による陳情書55通を各関係者に発送。

8・2 大阪の日本ライトハウス声の図書館より「徳川の夫人たち」「ガン病棟」他50巻を借用、プリントして文庫に納める。

9・4 野島公園完成。故人の法名より、「心月園」と命名される。

10・6 不自由度調査実施に当り、あらためて園長及び担当医師に要請書を提出。

26 松山市の森紫苑荘様外3名を迎え眉山亭において川柳句会を開く。

1115 会則及び慣例の全面的改正を臨時総会において決定。

主な改正点…役員選出規定、理事制株用、慣例細則の改訂ほか。

    施行…47年2月1日。

20 自治会後援の盲人釣大会を大島桟橋において催す。

昭和47年(1972)

1・18 改正した会則に基き理事8名を選出。正副会長は理事によって互選。

  25 会員朝滋夫著第三歌集「異形」発刊。

2・1 会務縮少により機関詰「灯台」の発行年二回。

4・1 全盲連本部楽生支部より駿河支部に移管。

  5 第9回瀬戸内三園盲人協議会を大島担当で開催。

    討議内容…看護助手の充増員、会務用テープレコーダの配分基準問題ほか。

  28 バスレクリエーションを実施。コース大窪寺、亀鶴公開。

5・15 沖縄の本土復帰に伴い、愛楽園盲人会、南静園盲人会が、全盲連に加盟。13支部となる

5・27 会創立40周年記念式を来賓多数迎えて挙行。

    行事…民謡、オリーブバンド演奏会、座談会他。先没者233名、会員数67名。

6・8 定年退職の海老沼健次様を迎え、送別会を行なう。

9 盲導施設整備費予算継続の要請書30通、陳情はがき67枚を厚生省関係に発送。

12 庵治町道として園内幹線道路が舗装される。

18 病棟管理制度の変更によって、役員の入室会員訪問が3ヵ月に1回となる。

1010 自治会主催によって視力障害1級者の慰安会が開かれる。

1122 テープ文庫の整理を行ない、新たに台帳を作成。総巻数1010巻。

昭和48年(1973)

1・9 盲導鈴費によって盲導スピーカー13基が新設される。

2・21 大島において第6回全患協代表者会議が開かれ、管理作業返還の基本線を決定。

3・17 吉名照三氏の朗読奉仕によって、「日本の歴史」26冊の収録を完了。全182巻。

4・13 バスレクリェーションを実施。コース善通寺、曼荼羅寺。

  23 准看護学校生徒と春の山遊びを行なう。

6・1 テープジャーナル「ねこの目」100号記念特集に、会の活動状況が掲載される。

  8 全盲連重点要求項目の失明重複障害加算、看護婦、看護助手の産休病休代替要員予算化他について要請書を各関係者に発送。

  14 老人クラブ「百寿会」の発会式にメッセージをおくる。

8・7 新任の吉尾総婦長を迎えて、入室会員の介護などについて要請。

   9 盲人用テレビ(無画テレビ)の新規予算化についての要請書を厚生省、大蔵省に発送

9・8 42年度貸与のトランジスターラジオ41台が更新される。

10・9 バスレクリエーションを実施。コース八栗寺、志度寺、津田の松原 今年より春秋2回となる。

昭和49年(1974)

1・30 会員赤沢正美著歌集「投影」発刊。

2・25 総会においてひな祭、七夕、月見の親睦会等行事に加えることを決定。

3・7 「青松会」特別会計の窮迫により「灯台」誌発行について自治会と折衝、継続が認められる。

4・1 全盲連本部駿河支部より星塚支部に移管。

6・3 邑久盲人会において開催の第6回瀬戸内三園盲人親善交歓会に一行7名が出発。今回をもって中止。

8・1 香川用水が大島に導入され、全日給水となる。

  14 心月園において奉仕者による「いもづる祭り」の模擬店が開かれ、会員に盲人会館を開放。

8・15 会員萩原澄著第二歌集「光ある方へ」発刊。

10・8 白治全生催による盲人慰安会に視力障害2級者も加えて開かれる。

1114 奈良壺阪寺里帰りに一行20名が出発。

    26 自治会後援の盲人釣大会を桟橋において催す。

1210 独身重不自由者寮四畳半個室2棟及び管理棟が新設。

    18 水島コンビナートの重油流出事故で大島の海岸も汚染される。

昭和50年(1975)

1・19 奈良真和合の小林芳信様一行15名を迎えて懇談。これを機に年4回来訪されることになる。

4・9 第12回瀬戸内三園盲人協議会を大島担当で開催。

    討議内容、全盲連既決重点項目の再検討、病棟看護の改善他。

5・27 大島会館においてオリーブバンドによる演奏会を催す。「念ずれば花ひらく会」の北野資子様、水野冨美子様も特別参加される。

6・5 独身重不自由者寮四畳半個室2棟及び不自由者病棟1棟が増設。第1セクターとして発足。

  20 会員島田茂著詩、短歌、随筆集、「美しき非情」発刊。

  24 高松宮殿下、妃殿下外関係者多数来園。病棟、不自由者センターをご慰問。

  25 高松宮両殿下臨席のもと、藤楓協会主催の「らいを正しく理解する集い」が高松市民会館において開催。貞明皇后御歌を会員半田市太郎が朗詠。

7・11
 四国地方医務局陳情に正副会長が同行。盲人教養文化費、盲導索設備費等の大幅増額を訴える。

  28 教文費によって視力障害者用受信機(無画テレビ)5台が示達される。

8・6 次期全盲連本部担当について星塚本部より要請を受ける。

1029 全盲連本部受入れに伴なう臨時総会を開催。51年4月1日より向う2ヵ年間担当を決定。

   25 会計班長、福祉係立会いで盲導索の実態調査を行なう。

    既設…971・4メートル、未整備…1432・2メートル。

昭和51年(1976)

2・8 職員官舎1棟焼失、友園盲人会より見舞電報が寄せられる。

  13 インフルエンザ流行で遅れていた事務引継ぎを行なう。

3・25 全盲連本部事務引継ぎのため、不勤事務局長が来園。

  27 盲導索のペンキ塗り替えがFIWC関西支部のワークによって行なわれる。

4・1 全盲連大島本部発足。

    会長今井種夫、事務局長北島澄夫、局員賀川操、吉田美枝子。

6・14 盲人会館に盗難事件発生。現金、オリンピック記念銀貨、印鑑など紛失。

  19 四国地方医務局陳情に全盲連今井会長、北島事務局長が同行。

     教文費、盲導索費の大幅増額、看護要員の増員、特別級新設、失明重複障害加算の予算化等重点項目について要請。

7・27 県視協福祉センター島中貞雄館長が就任挨拶に来園。

9・3 東京礼拝会高橋シスターよりカセットテープ郵送袋が寄贈される。

  15 奈良真和会より70歳以上の会員に毛布が贈られる。

1018 高松氏における国病、国療会議に出席の吉崎療養所課長を招聘。自治会と全盲連で当面する諸問題について陳情。全盲連の運動により、視力障害1、2級者に障害者用食器購入費が示達される。

11・4 新たな行事としてプロ野球日本シリーズの懸賞募集を行う。

  10 「将来の療養所あり方研究会」に来園の全患協小泉会長、鈴木事務局長他を迎え、全盲連運動への支援を要請。

1130 全盲連本部より藤楓協会聖成理事長に、テープ図書のカセット化について要請書を提出。

1214 全盲連大島本部を代行して、多摩支部の汲田、室国画氏が盲人関係予算獲得に陳情。

  24 大島神社参道に盲導鈴、盲導索を敷設。

昭和52年(1977)

1・20 奈良壺阪寺大観音石像建立寄金を会員並びに一般有志より募集。

2・1 全盲連会費増額に伴ない、会費を月額100円に増額。

  26 大寒波襲来、各所において水道管破裂、盲人会館にも被害。

3・24 庵治町社会福祉協議会より盲老人クラブ費の補助を受ける。

4・4 硲省吾園長多磨全生園より着任。
    日点本間館長、及川秘書と懇談。全盲連よりテープライブラリーの利用について再度要請。

  6 多磨全生園園長として転任される大西基四夫園長に花束を贈る。

4・7 第14回瀬戸内三園盲人協議会を大島担当で開催。オブザーバーとして本部事務局員も出席。

    討議内容…盲老人対策、ガイドヘルパーの要請他。
5・17 鈴木療養所課長補佐外係官6名が来園。全盲連を代表して北島事務局長が重点5項目実現について陳情。

  27 会創立48周年記念式を挙行。

    行事…来賓の北野宣子様を囲み懇談会、親睦会。

    先没者244名、会員数65名。

6・17 複室制による夫婦重不自由者寮2棟及び管理棟が新設。第2センタ-移転。

18 四国地方医務局陳情を実施。全盲連事務局長、支部代表が同行。

  視力障害者用受信機の個人貸与、障害者用食器購入費の継続性を要請。

26 高松市視覚障害者福祉協会長一行19名を迎えて懇談。

6・30 新任の硲園長、横山総婦長を招き医療、看護問題等について要請。

11・7 奈良壺阪寺里帰り一行17名が出発。

12 園内に個人電話設置。会員6名が加入。

29 自治会後援の盲人釣大会を桟橋において実施。参加者25名。

12・1 藤楓協会テープライブラリーに要請中のテープ図書カセット化が実現。

昭和53年(1978)

2・18 会員田中京祐著川柳、随筆集「あかね雲」発刊。

3・23 全盲連本部事務引継ぎのため、東北支部に北島事務局長が空路出発。

4・1 全盲連本部大島支部より東北支部に移管。

5・1 県視協会長に丹羽石見氏が就任。

8 藤楓協会聖成理事長に盲人会館更新についての依頼状を発送。 

6・20 カセット高速プリンターを購入。テープ文庫の充実を図る。   

8・10 会員の平均年齢を調査。64.1歳、最高齢者88歳。

14 盲導鈴をオルゴール式よりミュージックマシンに切替える。

30 雲井寮あとに東屋「つつじ亭」が建てられる。

9・23 大阪清風寺青年会一行と懇談。ザルそばの慰問を受ける。

1028 盲人会館の更新が自治会において承認される。

1219 複室制による夫婦重、中不自由者寮4棟増設。第2センター2ブロックとなる。

昭和54年(1979)

4・1 全盲連本部東北支部より松丘支部に移管。

13 日本放送ラジオヂャリティミュージックソンの資金で、森村誠一著「空白の凶相」他のテープ図書が寄贈される。

5・1 11番札所藤井寺薬師如来像建立寄金を会員並びに一般有志より募金

5・28 自治会機関誌「青松」テープ版を友園盲人会に廻覧。

6・6 四国地方医務局陳情に正副会長が同行。

    教文費、盲導索費の増額他を要請。

  25 藤楓協会主催の「らいを正しく理解する集い」が大阪府立青少年会館において開催。奈良真和会が表彰される。

1026 創立以来、会のよき理解者石本俊市様が急逝され、協和会葬によっておくられる。

1110 開園70周年記念式に、北野資子様斡旋による花柳瞠宗夫妻の舞踊が披露される。

13 「念ずれば花ひらく会」会長北野資子様が急逝され、弔電をおくる。

1218 園内の電力が6600ボルトに昇圧。電機器具の使用制限が解かれる。

昭和55年(1980)

1・10 奈良壺阪寺特別養護施設「光明園」の建設に寄金を贈る。

3・6 藤楓協会聖成理事長が来園。老朽した盲人会館を視察される。

4・14 第17回瀬戸内三園盲人協議会を大島担当で開催。

討議内容…全盲連本部の機構改革、盲人世話係の職員化他。

30 奈良女子大点訳クラブ員6名を数年ぶりに迎えて懇談。

5・14 11番札所藤井寺薬師如来像の開眼記念に、福留住職の招待で、21名が参詣。

28 カラオケセット購入。カラオケ大会を催す。

6・23 四国地方医務局陳情に正副会長が同行。教文費他4項目の改善を要請。

7・3 長崎の声の奉仕会マリア文庫よりテープ図書、高木とし子著「ガラスのうさぎ」他10巻が寄贈される。

25 全盲連の規約改正を行ない、事務局制を廃止、本部担当順位等決定。

8・12 盲人福祉会館設計変更に関する臨時総会を開催。

    51坪より34・5坪に縮少、会員一人15000円の換金を決定。

10・1 全盲連本部松丘支部より栗生支部に移管。

  24 県視協の丹羽会長、海面副会長を招待。恒例の盲人釣大会を行う。

1110 奈良壺阪寺里帰り一行17名が出発。

  13 県視協文化祭において会長北島澄夫が表彰される。

1216 奈良真和会のバス購入寄金を会員及び一般有志より募金。

昭和56年(1981)

4・15 四国地方医務支局より小野支局長外2名来園。自治会と共に正副会長が陳情。

    看護要員の増員、高齢者対策他を要請。
5・8 第28回全患協支部長会議が大島において開催。出席代表に全盲連重点項目の実現当を要請。

19 盲人福祉会館建設工事のため、文化会館に仮移転。会務を執る。

6・10 日盲連村谷会長より音声時計が寄贈される。

7・1 患者作業返還に伴ない、男子職員1名が盲人世話係として勤務。

  24 随筆家岡部伊都子様が来圈。協和会館にかいて懇談。

9・17 庵治町三好治様より庵治細目石による「盲人福祉会館」の表札が寄贈される。

10・1 男子職員に続いて女子職員1名が盲人世話係として勤務。

 全盲連本部粟生支部より邑久支部に移管。
   5 国際障害者年に当り、全盲連代表2名が全患協交渉団に同行。厚生省陳情を実施。
   6 盲人福祉会館完工(鉄筋ブロック建築、34・5坪)。

建設費1650万円、うち日本船舶振興会補肋890万円。

  20 盲人福祉会館落成祝賀記念式を挙行。

 会長挨拶、来賓祝辞。自治会より藤楓協会聖成理事長、三協建設三宅社長に感謝状を贈呈。

  行事…カラオケ大会、親睦会、文芸発表他。

11・1 職員世話係の見習い期間が終り、患者作業人4名が2名に減員。

  2 硲省吾園長退官、花束を贈る。

  4 京都大学より岡田誠太郎園長着任。

  8 県視協文化祭において会長今井種夫が表彰される。

1215 「灯台」90号を盲人福祉会館落成特集号として発行。

19 カラオケグループ誕生。

昭和57年(1982)

1・13 財団法入香川県視覚障害者福祉協会の支部として正式に加入。

20 全盲連第88回定例書面会議に「音声時計の予算化」を提案。

18 長崎マリア文庫の野崎シスター、増田敬子様を迎えて懇談。

4・4 県視協の評議員会に正副会長が出席。

  24 四国地方医務支局陳情に正副会長が同行。

    ウォッシュエアシート大便器、音声時計の予算化を要請。

5・12 会館の庭に松、山茶花、海紅豆など植樹。

27 会創立50周年祝賀記念式を盛大に挙行。園長、幹部職員、自治会、庵治町長、町議、県視協、協力者多数の来賓を招待。

  行事…カラオケ大会、文芸発表、親睦会。

先没者250名、会員数69名。

 

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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