わたしはここに生きた   <盲人会五十年史> 国立療養所大島青松園盲人会五十年史

                   本書をハンセン病盲人に愛と理解を寄せられた多くの人々に捧げる

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第2部 「灯台」の群像

 第4章 生きる

 47 生きぬこうではないか          畠 山 一 義

 私はこの文を書くにあたって、このたび自ら生命をたたれた病友の霊に対して、心から哀悼の意を捧げます。
 ところで大きな向日葵が、季節の変化と共に黒く実を結んで枯れてゆく姿は、みるからに美しいものです。しかしこれに比べると白殺ということは、それ自体尋常なことではありません。
 今日相次いで起った一連の自殺について管理者は、どのように考えられているのであろうか、また故人の生前の苦痛を取り除くのに充分な治療がなされたかどうか、慰めいたわられただろうか、ここで私は、自殺ということについて、少しばかり述べてみたいと思います。一体自殺とは、どういうことでしょうか、自殺は万事を解決してくれるでしょうか、否、決して解決してはくれません。ある書によると自殺は、万事を解決してくれるのではなく、万事においとますることだとあります。この点からいうと、むしろ自殺は問題をあとに残すことになります。ここで私達は次のことを重視し、認識しなくてはなりません。それはつまり、不自由になり、また、醜くなっても、決して敗北することがあってはならないと思います。言うまでもなく、もともと私たちの生活は、蝶が花にとまっているような、そんなお上品で穏やかなものではありません。私たちの生活は内容こそ違え、弱肉強食を原理とする一般社会のそれと同じように、ハンセン病との闘いであり、それをはばむものへの厳しい闘争だと思います。ですから私たちは自殺の道を選ぶのではなく、あくまでも、生き抜く道を求めなければなりません。要するに私たちの幸せは、おかれている現実をあきることなく追求することにあります。だからこれらのことを認識し、実行にうつして行けば、例え、いかに重度の障害をもつ者であってもそれはちょうど闘争の年輪を重ねてたつ西海岸の松のように、その一生は美しいだけでなく、気高くさえあるのです。人間の生涯は、平坦な山坂を登り下りするのではなく、断崖絶壁をよじ登ることであり、その神聖な頂を征服することであると或る人が言っています。何と味わうべき言葉ではないでしょうか。
 私たちは、どんな台風や荒波にも負けず、体は大島にあっても、心を世界に拡げ、太陽のように明るく、最後まで生きぬかなくてはならないと思います。

  




「わたしはここに生きた」大島青松園盲人会発行
昭和59年1月20日 発行


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