閉ざされた島の昭和史   国立療養所大島青松園 入園者自治会五十年史

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入園者の証言と生活記録

島に来て60年       芥 今代

 この6月14日がくると、大島にきて、ちょうど60年になります。今年は、わたしの60周年記念の年です。
 いま、思うことは、らい病になってしあわせだということです。らい病になったから、神さまのみちびきをうけることができたのです。神さまのおみちびきがなかったら、ろくに字もよめんことじゃろうと思います。
 わたしは明治33年に、島根県の山おくでうまれ、ことしで78才になります。
 山おくのことじゃけェ、学校へいくというても、親がついていかんといけんようなとおいとこじゃけぇ、親が役所にたのんで学校へいかあでもええようにしてくれたんです。
 大島にきたんは、大正7年6月14日で、19の年でした。
 それまでは、子守りにやらされたり、奉公にだされたりばっかりでした。ヘェじゃけェ、字をなろうたんは大島にきてからでした。沖繩にいっておられた青木ケイサイさんにカタカナをおしえてもらい、そのあと、女ご先生にほんじ(漢字)をおしえてもらいました。そのとき二重丸をもろうた書きかたを、いまも、もっています。ヘリがボロボロやぶれそうになったんで、ほかの紙でうらうちして大事にしています。わたしの宝にしているんです。ヘェでも、小づかいがほしいもんじゃけェ、ほん字をおぼえんうちに学校をやめてしもうたんです。ヘェじゃけェ、いまも力タカナをよむのがせいいっぱい。こげェな無学なもんじゃけェ、神さまのみちびきがなかったら、どげェな罪をかさねてきたことじゃろうと、つくづく思います。
 むかしの大島は、そりゃあひどいものでした。いまとくらべりゃ天と地のちがいです。
 いまのように電気があるわけじゃあなし、とうしみをとぼしていたんです。カラーテレビがみられるじゃなんて、ほんまに夢のようです。
 わたしゃ性根がないもんで、大方わすれてしもうたが、わたしがきた時ぷんは、北海道(島の北地帯)に女の寮が3棟ばかり、山があってその南に、いまの3寮あたりから北に5棟ほどありました。さびしいもんでした。そうそう、わすれとりましたが、いまの人はすきな人といっしょになれてしあわせですよ。わたしは、大島についたばん、まだ、わが家がこいしうて泣いているのに、男の人をおしつけられて、ほんまにつらい思いをしました。その人が芥さんで、さいわい、芥さんがええ人だったんでよかったんですが、ほかの女の人で泣いている人もいました。いまの人は、一人でおることも自由だし、いっしょになれば、個室の夫婦舎にはいれてしあわせですよ。
 むかしはひどかったもんです。すいじも現物支給で自炊でしたし、水はいまのように水道じゃあなく、ハネつるべでくみあげていました。ふとんの洗いがえや着もののぬいかえも、裁ほうができんもんにもわり当てでした。裁ほうもしらんかったが、みようみまねでなろうたんです。それでも、ひまをつくってはおなごだてらにバクチをやったもんです。おなごばっかりじゃから、あられもなくおこしだけであつまってやったもんです。かけ金ですか?1銭か2銭でした。
 そげェなとき、石本のぶちゃんのおじさんに、霊交会にはいるようすすめられたんです。わたしは、宇をしらんけェ、そげェなところへははいられん、とことわったが、宇をしらんでも教会へくるだけでええんじゃけェ、と何回も何回もすすめられて霊交会へはいったんです。洗れいをうけたのは大正14年4月14日でした。
 さいしょの夫、芥さんはよい人でしたが、大正13年に大やけどし、それがもとで一ぺんに不自由になり、目もうすくなって、わたしは芥さんがなくなるまで、めんどうをみるのがほとんどでした。わたしも、肋まくをわるうして、一年ばかり入院して、一時は死ぬんじゃないかと思うたときもありました。芥さんとは縁がうすくて夫婦らしい生活はすくなかったのです。また、板倉さんとは昭和17年に一しょになりました。板倉さんもよい人で、わたしにはなんにもさせないで、子どものようにめんどうをみてくれました。ヘェでも、夫婦生活はなかったんです。みんなうそじゃというんですが、これはほんまのことです。もし、神のおみちびきがなかったら、バカなわたしのことじゃから、きっと罪をかさねてきたことでしょう。おかげで罪をおかすこともなく、みんなにかわいがられてしあわせです。芥さんも板倉さんも教会にはいってくれました。2人とも天に召されてさびしゅうなりましたが、教会の人やみんなにやさしうしてもろうてうれしいです。むかしの職員は、わたしたち患者は、畜生あつかいでしたが、いまは、看ご助手さんも看ご婦さんもやさしいことばをかけてくれてゆめのようです。この間、西の浜で園長先生とはなしました。先生は、一度、高松につれていってあげようというてくれました。ほんまにしあわせです。
 大島にきて60年になりますが、いまが、一ばんしあわせで自由です。こんなことは、うまれてはじめてです。これも神さまのおみちびきのおかげじゃと感しゃしています。

          (きき書き八十ばあちゃん在園六十年の弁)

        (青松昭和53年6月号より転載、語り手・故人)

  

「閉ざされた島の昭和史」大島青松園入所者自治会発行
昭和56年12月8日 3版発行


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