旧約聖書、創世記三章には、人類のはじめの人アダムとエバが、へびにそそのかされて、神が食べることを禁じていた知恵の木の実を食べるさまが記してあります。
「へびは女にいった”あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです”女がその木を見ると、それは食べるによく、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちが裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」といった劇的な場面が描かれていますが、いまや人間の知恵は、試験管の中で子供を作るというようなことまで不可能ではないといわれるほどに、全く神の領分をおかすほど発達してきましたが、あそこで、人間の目がひらかれたこと、すなわち、人間が善悪を知り、羞恥や疑惑や悔恨や欲望や存在の不安の中で苦悩しながら生きなければならなくなった不幸を、「エバの裔」として受けつぐ現代の人間の中のひとりとして、その不安のよってくるところを見つめずにすごすことはできません。
この一冊の詩集の中にどれほどそのことを詩い得たかは不明ですが、私は私なりにひとつの課題をまさぐって見ました。と言ってもこの詩集に収めました詩は必ずしも始めから「エバの裔」というテーマをかかげて書いてきたものばかりでもありません。
しかし、知恵の木の実を食べて目の開かれた人間、「エバの裔」として、また、いくぶん文学にたずさわったために知恵の木の実を食べすぎたかもしれない私は、知ることの感動や、創ることのよろこびや、無から有をあらしめることの不安や苦しみをも背負って、いっそうエバの裔であることの痛みを身に近く覚えるものとして、そこから書かれた詩はやはりエバの裔という主題のもとに読んでいただいてもいいものだと考えます。
全53篇で、1973年に出版された第3詩集です。
「でじたる書房」より電子書籍として入手可能です。
ここでも随時ご紹介していきますので、お楽しみに。
第2詩集「分身」以降のもので、詩誌「黄薔薇」(永瀬清子さん主催)、「樫」(三木昇さん発行)に発表された作品と、未発表の作品が収められています。
この詩集の出版にあたって、塔さんが詩を書きはじめてから「常にその御著書の中から、また、かつて投稿した作品に対していただいた選評のひとつひとつのお言葉の中から多くのことを学ばせていただき、心ひそかに御師ときめて」(後記より)いたという、村野四郎先生が題字を書いてくださったことが望外の嬉しさであったそうです。