詩と詩集の紹介
第7詩集 「いのちの宴」
「いのちの宴」より
言 葉
私は
こんなところにこのように使われて
死んでしまったと泣いている
私はこんなところに置かれて
寝そべってしまったとなげいている
私はこんなところへはめこまれて
とまどってしまったと言っている
人と人の間で交される会話の中で
原稿用紙の枡目の中で
ここがきゅうくつ
ここがつっぱっている
とわめいている私を
立たせて欲しいいきいきと息づかせて欲しいと
叫び
祈りせまり
身もだえしている私のことを
なだめたりしないで下さい
あなたの力のおよぶかぎり
掘り返し植えなおし
何度でも
なんどでも甦らせて下さい
大地に草が生えるように
自然な形で
後記より
私達はもぎたての果実を前にしたとき、その果実がつながっていたいのちの木をはなれて、そこに在るという現実は、果実が着果する前の闇、そして熟した新鮮さの頂点から、しなびて腐敗がはじまり、また闇にかえるという工程へのはじまりであるということを、その水々しさとあたらしさの故に忘れています。
そしてそのことは、果実はかりではありません。母の胎に、私がはじまる前の闇から、私が生を受けた瞬間、私の上にもはじまり、この世に生を受けた生きとし生けるものの上にもはじまっています。
私はふと、そのことを思います。
しかし私には、忘れるとか、錯誤とか、誤謬(ごびゅう)といった恐怖からの救いが、うまくそれをごまかしたりあやしたりして、私をあるいは楽しく、あるいは幸せに、あるいは快くさえ生きさせてくれます。
それでも、その巧妙な錯誤のもやの中から、あるとき真実は厳然として姿を現し、私に漠とした不安の正体を見せてしまいます。私は産まれる意思もなく産まれ、消える意志もなく消される運命にある、ほんのわずかな時間を在らされている自分が、生の本然に目を向けるとき、投げ返されてくる答えを、ここに書き記して見ました。
ここに収めました作品は、1980年に出版いたしました「いちま人形」以後の作品です。またわたしはいままで詩の中に、らいという言葉を使ったことがありませんでしたが、此の度は自分の生活している足場であるらい園に、らいが治ったいま、どのようにしてかかわり生きているのか、ということを、自分自身に問いなおすという意味で、少し書いて見ました。
この詩集について
全42篇で、1983年に出版された第7詩集です。
「でじたる書房」より電子書籍として入手可能です。
ここでも随時ご紹介していきますので、お楽しみに。
第6詩集「いちま人形」以降のものです。
メモ
1983年9月10日、編集工房ノア発行。絶版。装幀・栗津謙太郎・・・画家・装丁家
2007年9月12日、でじたる書房より電子書籍として発行。